修復的対話の定義
修復的対話を、ハワード・ゼアは次のように定義しています。
修復的対話とは、個人あるいは集団が
①受けた傷を癒し、事態を望ましい状態に戻すために、
②問題に関係がある人たちが参加し、
③損害やニーズ、および責任と義務を全員で明らかにすると同時に、
④今後の展望を模索する過程である。
修復的対話では、当事者だけではなくて、関係者がみんな参加するんです。そこが、これまでのアプローチと違う。関係者全員の対話によって、ダメージや損害を適正な状態にもっていく。ただし、参加は強制されるものではありません。自主的な参加が前提です。また、対話には円滑な進行を図るためにファシリテーターが入りますが、この存在が大きい。対話の前提は、参加者全員への敬意です。実際には、ここが難しい。とくに被害者が加害者を尊重するというのは難しいです。ですから、修復的対話には、準備が何よりも重要だと言います。それは、話し合いの土壌をつくっていくことなのです。「とにかく、準備、準備、準備」だと、準備の重要性が強調されます。
また、修復的対話は、非排他的で協働的なプロセスです。個々人を尊重して、協働していく。対話にはコンファレンスとサークルの大きく分けて二つの種類があります。ベースにあるのは、おたがいへの敬意と、参加者の対等性です。それから、全員の発言の機会を保障すること。実際の場面でよく使われているのはトーキング・ピースです。モノは何でもいいんですが、それを持った人だけが話せる。私も、授業なんかで使っていますが、これがあると、すごくいい。ふだんはほとんど話さない人が、トーキング・ピースがあることで、安心感をもって話せる。あちこちで広く採り入れられている方法です。
広義の対話の場を「サークル」と言います。対立があっても、若干マイルドな対立です。対立が先鋭化したときには、「コンファレンス」を開きます。「コンファレンス」では、対立を解決するため、比較的定型に沿った進行をします。そして、話し合ったことについて合意書をつくり、何が合意されたのか、おたがいに確認します。
話し合いのルールは、「おがたいの尊重」「相手の話をよく聞く」「相手を非難しない」「発言しなくてもいい」の四つです。このほかに、守秘義務があります。しかし、実際は難しいですね。先日もヒートアップした親御さんどうしのカンファレンスに立ち会いましたが、ケンカになってしまった。でも、そういう場面でも、思いのたけを出して、それが受けとめられることが感情の浄化にもなっている。感情も、ある程度は出してもらうことも大事です。その際のファシリテーターの対応が重要です。
修復的対話は、参加者自身が解決能力を持っていると考えます。そのなかで、調整し、落としどころを見つけていくわけです。
修復的対話の意義
対話の意義としては、まず被害サイドに立った場合、被害について語ることの癒やし効果があります。私自身の経験で言うと、SSWをしているとき、スクーターを盗まれたことがありました。当時、スクーターで家庭訪問をしていたのですが、非常勤で月給12万円の私にとって、スクーターは大きな買い物でした。それが盗まれた。駐輪場にカギをかけて置いていたのに……。しかし、スクーターがないと仕事ができないので、泣く泣く、新しいのを買いました。心の中は怒りでいっぱいでした。
しばらく後に近所にある中学校から電話があって、「うちの生徒3人が盗んだ」ということでした。裏山に捨ててあるのが発見されて、「これから謝りにまいります」と先生が言う。しかし先生に謝ってもらっても仕方ない。「先生はスクーター盗めと指導したんですか?」と聞くと、「いや、とんでもない。では、親御さんに謝らせます」と言う。それも意味がないと考えて、私は「子どもたちと話がしたい」と言いました。先生も「わかりました」ということで、日曜日の朝、子ども3人と、その親御さんたちが来ました。私は冷静に、スクーターがなくていかに困ったかを伝えて、二度としないでほしいこと、親御さんも恥ずかしい思いをされているということ、そのあたりをわかってほしいと伝えました。子ども自身に気持ちを聞こうとしたんですが、黙っていたのでわかりませんでした。しかし、自分自身がすっきりしたんです。後に、被害を語ることの癒やしについて修復的対話で知って、このことだったかと思いました。
また、謝罪を受けた場合、その癒し効果もあります。海外の修復的対話の関係者には「日本人はすごい」と言われるんですが、なぜなら「よく謝るからだ」と。たしかに外国に比べると、そういう側面もあるかもしれないが、私は皮相な場合も多いように思いますがね。
それから、自分のことを気にかけてくれる存在がいることを知ること。この意味も大きいです。
加害者のサイドに立った場合、自分の行為の影響を知ることの意味があります。遊び半分だったと言ったりすることが多々ありますが、頭ごなしに人間として全否定されるのではなく、自尊心を保ちながら、自分の行為の影響を知り、反省をすることができる。
双方への意義としては、当事者間だけの問題ではないことを知ることです。そして、関係が再構築される可能性があることの安堵感、未来への展望が開けることの開放感がある。
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