山下:ほかに、ご質問はありませんか?
篠田:依存にしても、アディクションにしても、時代によって言葉の意味するところが変容してきているということでしたが、自立がいいものに変容してきたのは、どういう経緯からのことだったんでしょう。
桜井:「自立」は中国語由来の言葉で、語源辞典を引くと、一国のあるじになるという意味でした。ですから、明智光秀も3日くらいは自立していたんだと思いますが(笑)、秀吉ぐらいにならないと自立してないということですね。つまり、国王とか領主のような非常に限定された人のあり方だったわけです。それが一般化していくのは、近代の一応民主主義社会になって、主権者が国民になってからです。でも、市民社会といっても、市民になれるのは当初は白人、男性、大人、健常者だったわけですよね。黒人、女性、子ども、障害者などは市民ではなかった。選挙権すらなかった。女は依存している存在だとされてきたわけです。それがちょっとずつ拡がってきたと同時に、自立の意識も拡大してきた。本当の意味で社会の成員全員が権力を持ったら、全員が自立していると言えるかもしれないですが、実際にはそうはなってないですね。
山下:英語のindependentには独立の意味もありますよね。
桜井:そうですね。
柳:依存してもいいという発想の転換は、自分を楽にしてくれると思いました。自立という言葉は巧妙で、抵抗しにくい言葉だと思います。資本主義の段階と言いますか、新自由主義の小さな政府は責任を放棄している。公助と言い方は良くないかもしれませんが、公助なしで、自分のお金だけでサービスを買える人ばかりじゃないですからね。それで、多くの人が生きづらくなっている。このまま、弱肉強食の方向でいくのか、みんなで生きていこうとするのか、思想闘争になるのではないかと思います。でも同時に、人と関わりたくないと思う気持ちもあって、昔のしがらみみたいな、共同体主義みたいなのもイヤなんですよね。家族主義とか親戚づきあいみたいなものも、うんざりです。ひとりでいたい。そういうあたりは、どう思われますか?
桜井:最後のところは、むしろ山下さんに訊きたいですね。ひとりでいたい、でも、ひとりでいられない、ひとりでは生きられない。そのジレンマの抱え方について、どう考えたらよいのか。
山下:ウィニコットという精神科医は「人は誰かといっしょのときにひとりでいられる」と言っていますね。いっしょにいても、たとえば、もっと教育を受けなさいとか、就労のために努力しなさいとか、いまのままのあなたではダメで、もっとがんばりなさいということでは、ひとりでいられない。逆に、まったく見放されてしまっていても、ひとりではいられない。信頼してそばにいてくれる関係があって、人はひとりでいることができる。そういう信頼がなくて、がんばらないと自分の存在が認められないということだと苦しい。それは、先ほどの支援のグレードダウンに通じることかもしれないですね。
ところで、新自由主義の小さな政府は責任を放棄しているという話がありましたが、新自由主義といっても、ロールバック型とロールアウト型があると言いますね。そのあたりについて、もう少しお話しいただけたらと思うのですが。
桜井:新自由主義やネオリベラリズムはしばしば誤解されていますが、行政サービスを民間に委託して、公を縮小する小さな政府というのは、ロールバック型の新自由主義と言います。ロールバックというのは、引き揚げ(撤退し)ていくということですね。それに対して、ロールアウト型の新自由主義というのは、統治の強化です。自立支援プログラムもそうですが、支援内容は充実している。だけどそこでは福祉を通じて、対象者を誘導、統治していくわけです。ロールアウト型の新自由主義の怖さは、支援を通じて、統治を強化することです。
山下:福祉と言っても、生産性を上げるために投資しているわけですよね。人を労働に向けてがんばらせるための施策になっている。
津路:では、どうしたらよいんでしょうか。
桜井:統治されずに、お金をもらったらいいと思います。
津路:どうやってですか?
桜井:一足飛びにベーシックインカムを言うつもりはないですが、まずは生活保護制度の条件をゆるめていくことではないでしょうか。いまの制度で行なわれている統治をゆるめていく。最終的にはベーシックインカムに近いものにできたらと思います。一足飛びにすると、どうしても新自由主義型のベーシックインカムになりがちなんですよね。いまある年金や生活保護をなくして、その代わりに導入するというような話になる。イギリスでは、ウェルフェアコンディショナリティと言われているんですが、福祉の条件付けが、いまの流れなんですね。社会的に有用な活動をするとか、条件を満たした人のみに福祉サービスがある。人をアクティベーションすることが福祉の流れになっている。しかし、人権というのは、条件をクリアした人のみに保障されるものではないですからね。無条件なものにしていかないといけない。
津路:活動的にならなくていいとなって、たとえば誰も障害者の介助をしないということになったら、死んしまう人も出てきますよね。そういう社会はどうなんでしょう?
桜井:ほんとうに、そうなるのかはわからないですが、その人たちを死なさないことが第一ですよね。介助を誰もやりたがらないのであれば、そのぶん給料を上げるべきです。いまの社会では、一定数の人を食うか食わざるかに陥らせて、その人たちにやりたくない仕事をやらせることで成り立っている面がありますね。仕事をしないでも生存が保障されるようになれば、社会に必要な仕事が正当に評価されるようになる可能性もあると思います。
山下:いまの社会では、悪条件でもアクティベーションさせられているところがありますよね。とくにケアの仕事はそうだと思います。しかも、上から力ずくで支配しているのではなくて、個々人ががんばって自立しないといけないと、支配が内面化されていて、みずからコントロールされている……。ところで、まだ発言されてない方で、ご質問はありませんか?
T:途中からよくわからなくなって、話についていけてないのですが……。
山下:たしかに、このあたりのことを語る言葉が小難くなってますよね。すぐ、フーコーの「生権力」みたいな言葉が出てきがちで、そういう言葉を共有している人にしか通じないことになっているかもしれません。
桜井:たしかに、気がつくと使ってますね……。そういう言葉で説明したつもりにならないことは大事でしょうね。
津路:全員がアクティベーションをなくしたとしたら、社会が動かないんじゃないでしょうか。全員がだめ連(*3)みたいになったら、どうなるんでしょう。
桜井:人を駆動させて社会を成り立たせている面はありますし、それがなくなったら、いまのような成長は望めなくなるかもしれません。でも、行きすぎた成長のために、気候変動が起きていて、もしかすると人類は絶滅するかもしれないところまで来ているわけですよね。成長するなとは言えないけど、成長が止まることで、何をおそれているのかなと思うんですが……。たとえば、コンビニは24時間でなくなるし、水道が壊れても1週間くらいほうっておかれたりするかもしれない、利便性は確実に損なわれる。でも、おだやかな社会のほうがよいと私は思います。
津路:障害者の利便性も損なわれてもいいと。
桜井:そこは闘わないといけない。何を大事にするのか、何を保障すべきなのか。いまの社会のありようのなかでしか、その延長でしか社会を考えられないというのは貧しいことだと思います。もっとちがう社会のありようを考えたいですね。
はる:『ブルシット・ジョブ』を書いたデヴィッド・グレーバーは、労働主義こそがブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)を生んでいると言っていました。障害者でもひきこもりでも、就労支援に行かされることが多いですが、結局、支援団体がエンパワメントされるだけで、本人は作業所へ追い立てられて、ぶらぶらすることも許されない。それこそブルシットじゃないでしょうか。僕は、作業所なんか絶対に行かないと思ってます。精神病とかで、すごくしんどい状況にあるのに抑圧されている人はいっぱいいます。自分はダメ人間だと思い込まされていて、自殺したりする人もいる。それは労働主義の弊害だと思います。
桜井:ほんとうに、そうですね。なかなかアナーキーになりきらないと、労働はいらないとは思えないのかもしれないですし、みんなが働かなくなったらという懸念もわかりますけど、そこからスタートできるという人もいますよね。そもそも、人間存在をどう考えるか。たとえば、フリーソフトを開発している人って、趣味でやって、それで成り立っているところがある。一方で、不必要なのにふくらんでいるブルシット・ジョブで高給を得ている人もいる。そういうクソどうでもいい仕事は、なくなってもいいんですよね。
山下:そろそろ時間ですが、もう少し質問なり感想なり意見がある方はいませんか?
みみ:依存ではなくて支配が問題というのは、ほんとうにそうだなと思いました。自分自身がアルコール依存なので、たしかに支配されてきたんだと思いました。アルコールはしゃべらない。なのに支配されている。「寄り添う」というのも、そこに支配が入っていたら怖いんだなと思いました。私は、支配されたくないし、支配したくもないし、そういう関係をどうやってつくれるかが課題だと思いました。
桜井:そうですね。そのあたりは、ほんとうは支援者と考え合いたいところです。そもそも、自立支援って語義矛盾ですしね。
津路:でも、そうなったら、もう辞めますとなるんじゃないですかね。現場に関わっている人がそもそも論をつきつけられると、もう無理ですとなるんじゃないかと。
桜井:そこはプロなんだから、自分の権力性ぐらい自覚しろと言いたいですけどね。辞めろというなら、僕だって大学教員を辞めないといけなくなります。自分がやっていることの権力性を自覚したうえで、そこから、どうすり抜けたり、ちょろまかしたりできるか。そういうことが必要なのではないかと思っています。制度というのは、思われているほどキッチリしていなくて、スキマもある。そこで何ができるのか。そこでできないことは、ほかで考える。ひとりの人にすべてを負わせるのではなく、いっしょに考えていきたいなと。制度を根本から変えないとダメだとなるのも、制度主義ですからね。制度を変えるのも大事ですけど、ずらす人がいっぱい出てくることのほうが大事だと思っています。
山下:ありがとうございました。それぞれの場で、ずらしつつ、スキマを拡げつつ、いっしょに考え合っていきたいですね。
桜井:とても楽しかったです。ハードな学習会でした(笑)。
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*1 AA:アルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous)の略。アルコール依存症の自助グループ。12ステップは、その基本方針。
*2 教育機会確保法:正式名称は「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」。2015年5月、超党派の議員連盟により提案され、フリースクールや夜間中学校など多様な場が教育機会として認められると期待された一方、かえって不登校の子が追いつめられると反対の声もあり、大幅に変更された案が2016年の通常国会に上程され、同年12月に可決・成立した。
*3 だめ連:「ふつうの人のように働かない(働けない)」、「恋愛しない(できない)」、「家族をもたない(もてない)」といった人たちが、その「だめ」とされるあり方を否定的に捉えるのではなく、むしろ社会のプレッシャーのほうを問題とし、自由に生きていこうとして誕生したオルタナティブな「生き方模索集団」。
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