インタビュー:野崎泰伸さん「生の無条件肯定を」

障害者運動との出会い

野崎:大学に入学はできましたが、通学には苦労しました。大学側は「ほかの学生とすべて平等にあつかいます」と言ってきました。つまりは「大学内で介助のためにお金を出すような措置はしませんよ」ということです。

私にとって転機となったのは、5月の社会学の授業でした。隣に座った学生に「こういうことをやってますので、よかったら来てください」とビラをもらったんです。

彼ら彼女らは、障害者問題を考えるサークルの人たちでした。参加してみたら「養護学校は、いるのかいらないのか?」という議論をしていた。そのときのテキストは障害のある人が書いたもので、その人は地域の学校と分けられてしまうのがイヤだったという立場から、養護学校を否定的に捉えていました。議論のなかで「養護学校っていらんのじゃないの?」って言われたとき、自分自身を否定されているような気持ちになりました。でも、考えてみると、この人たちの言うことにも一理あるように思えてきました。養護学校に行かされるということは、当人の関係性や、関係づくりをあらかじめ奪ってしまっている。それは視点を変える大きなきっかけでした。その後、私は学外の障害を持つ人たちと関わるようになっていきました。

また、障害を持っている当事者の講義もあって、障害者の置かれている現状や、働くこと、教育、交通バリアフリーの問題など、いろんなことを教えられました。その講師と話しているうちに、「野崎さんも親から離れてみたらどうだ?」という話をされたんですね。

私は入学後の最初の1年弱は、両親同伴で大学へ通学していました。近くの商店街へ出かけることすら難しい状態だったのですが、それを聞いたサークルの人たちが「野崎くんの通学の保障をしよう」という話になって、毎日誰かが私の家まで迎えに来てくれるという話になった。そして実際に、先輩が親に会いに来て説得してくれたんです。

結局は1回来てもらっただけで、その後はひとりで通学するようになりました。でも「自分が大丈夫だと思うなら大丈夫だって言っていいんだよ」「あなたがほしいと思うサポートは、あなた自身が決めてもいいんだよ」と言ってもらえたことはすごく印象に残っています。

山下:他者の存在がないと、親が「ダメだ」と言っていることから逃れられないですよね。ちなみにそのサークルは、「青い芝の会(*1)」の関係ですか?

野崎:そうです。神戸にも会があって、自然と親しくなっていきました。青い芝の会の人たちから学べたことは、すごい宝ですね。養護学校の中にいたら、常に誰かに見てもらわないといけない。「自分は人の手を借りないと生きられない」って思ったら、それだけで生きる意欲がなくなる面がある。でも、青い芝の会は「だからどうしたん?」って居直る(笑)。他人の手を借りないといけないということを、マイナスに捉えるんじゃなくてプラスに捉える。青い芝の会は、そういうことを急進的な立場から主張していったので、批判は当然ありましたが、私にとっては善い・悪いを超えて衝撃的でした。

他者との出会い

山下:当時はアパートを借りるのも難しかったり、駅にエレベーターもなかったりで、障害者は街に「いないこと」にされていた。それを当たり前のことにしていくのは、本当に大変なことだったのではないかと思います。

野崎:まず、障害者は表に出る機会すら奪われているということがあると思います。それは制度的な問題であるわけです。だからこそ、教育や就労・労働の場面でも「ないもの」にされている。駅にもエレベーターがなかったりしてきた。だいぶ改善されてきていますが、根本の発想は変わっていない。たとえば、駅に車椅子の人がいると、駅員さんは障害者本人ではなくて介助者に「どちらまで行かれますか?」って話しかける。なかなか駅員さんから障害者本人に声をかけてくることは少ないのが実情ですね。

山下:昔のほうが人を呼んで手伝ってもらわないといけなかったぶん、「出会い」になってた面はあるかもしれませんね。

野崎:私が尊敬する障害者の澤田隆司さんは、エレベーターがある駅でも、意識的に階段の前に行って乗客を呼び集めて車椅子を担いでもらって階段をあがってました。あれは善い・悪いを超えて、すごくパワフルだなと思いました。

野田:私は、街で障害のある方に出会っても、「なるべく見ないように」してきてしまったところがあります。「見たら傷つけるんじゃないかな」という遠慮があったり……。それは野崎さんが著書で書かれていた「異なる他者」と出会ったときの葛藤なのかなとも思います。

野崎:学生時代、私のいたサークルの隣に、朝鮮文化研究会や韓国文化研究会があって、交流を持っていました。それまでの私は朝鮮・韓国のことについて、何にも知らなかった。障害者以外のマイノリティの問題を通じて、気づかされることがたくさんありました。それは、他者という存在がありありと、具体的なものとして私に対して問いかけてくる経験でした。

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*1 青い芝の会:1970年代から全国的に活動を展開してきた脳性まひ当事者のグループ 。

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