なるにわ趣意書の起草者のひとり、のだあやかさんが、なるにわスタートにあたっての思いを寄せてくれたので掲載します。
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これを書いているいま、季節は三寒四温を越えて、ようやく春になろうとしている。

春。けれども私は、あまり春が好きじゃない。
9歳から不登校だった私には、春は憂鬱でしかなかったし、大人になったいまも、それはそんなに変わっていない、気がする。
なんと言っても、胸がざわざわするのがイヤ。
外で吹かれるには気持ちの良いだろう風も、室内でひきこもっていたら窓ガラスを叩く音に、自分の内側からも叩かれる何かがあるようで、落ち着かない気持ちになるし。
それは今年もおなじこと。おなじこと、なんだけど……。
今年のざわざわには、今までになかったものがある。
それは「なるにわ」がスタートするということと、深く関係していると思う。
「コムニタス・フォロ」から「なるにわ」へ。
趣意書や規約を考えるところから、私は「なるにわ」に関わってきた。
趣意書には、私の考えたイメージも採用されている。
たぶん、新しい風、なんだと思う。
私にとって「なるにわ」がはじまることは。
「なるにわ」で分かち合いたいことが、私にはたくさんある。
簡単に言ってしまえば、おもしろいことがやりたい。
私にとってのおもしろいことって言うのは、いろんな人が居て、それぞれの考えていることや、心の内側にある風景を、少しずつ、そっと知っていくこと。わけあっていくこと。
それぞれの内側にある何かを、交換できる瞬間。
それは大雑把に扱っていいものでもないし、それ自体を主題において、「さぁ、やろう!」ってやるのとは、ちょっとちがうと思う。
おんなじ場所に、生身のからだで、心でそこに居て、いっしょに時間を過ごすこと。
おんなじ風に、吹かれるということ。
ふっとやわらいだり、ほころんだりして、そこにあらわれるもの。
それはもちろん、いいことばかりじゃなくて、どろどろしたものだって、顔を出す。
その時は、あわてても騒いでもいいけれど、どろどろさんもそこに居ていいですよーって言ってあげたい。
これは「コムニタス・フォロ」で学んだことなんだけれど、人が生き物であるように、場も生き物なのだ。
人が生き物、なまものであるように、場のなまもの性も、けっこう高い。
大事にしたいのは、そのなまもの性だったりする。

季節は春。

あいかわらず、胸はざわざわしている。
けれどもそれを厭いきれないのは、新しい風に、吹かれようとしているからだ。
室内で聞く、無遠慮に窓を叩く風ではなくて、生身のからだをさらすことで、感じられる風。
「なるにわ」に吹く風は、いったいどんな温度だろう。どんなかおりがするだろう。
それはまだわからない。
わからないから、胸はざわつく。
それでも、風をもとめる気持ちが、いまの私にはある。
やさしい風だといいなぁ、とか。
たまには強風も吹くだろうなぁ、とか。
生身のからだで、心で、思いっきり伸びをしてみたい。
そんなことを考えている。
これを読んでくださっているみなさまも、あたらしい風に触れてみたくなったら。
おいでませ、なるにわへ。
平成26年3月26日
のだあやか