雨宮処凛が宣戦布告した。若者をいいように使い捨てにすることで莫大な利益をあげる大企業中心の社会に対して。若者を貧困状態に追い込みながら、若者を責め立てる社会に対して。かくも人が生きづらい構造をつくりだしている社会に対して。
『生きさせろ! 難民化する若者たち』は、怒りの書だ。若者の極度に不安定なフリーター生活や生きづらさが、じつは構造的に(意図的に)生み出されている問題であることを告発し、若者たちが反撃を開始することを宣言している。
著者は、フリーターが文字通りの貧困にさらされていること、正社員が過労自殺に追い込まれるほど忙殺(これも文字通り!)されていること、福祉行政が機能していないことなどを、丹念な取材をもとに描き出している。そこに暴き出されているのは、現在の新自由主義路線のなかで、若者がズタズタにされている姿だ。それは実に寒々とした、砂を噛むような光景だ。
また、著者は、フリーター労組や高円寺ニート組合の活動などを取り上げ、若者が自分を責めたり、現状をあきらめるのではなく、社会に向けて怒りを向けるべきであることを、満身の怒りを込めて語っている。

私自身のことを言えば、フリーター生活も「正社員」生活もしたことがない。大学を中退し、フリースクールや不登校新聞社といったNPO(当初はNPOという言葉はなかった)でフルタイムで働いてきた。収入はフリーター程度の低収入で、ときにはメチャクチャ多忙だったこともあるし、しんどいと感じることも多々あった。しかし、自分の考えをまともにぶつけて仕事ができ、意見をぶつけ合いながら信頼関係を築き、社会状況を切りひらいていく仕事は、お金には換えがたいものがある。お金にならないことにも、ずいぶん労力を注いできた。十年以上も、そういうふうに働いてこられたのは、ラッキーなことなのだろう。私は、まったくといっていいほど、疲弊はしていない。不安定ではあるし、先々のことはわからないが、なぜか悲観的にはならない。きっとそれは、家族以外に、お金には換えがたい関係を築いてこられたからだ。

若者が求めているものは、金銭面での安定ももちろんあるだろうが、それ以上に、お金には換えがたい関係であったり、仕事の意味だったりすると思う。この殺人的に過酷な状況を生みだしている源泉には、何のための仕事なのか、何を競争しているのか、誰もわからないままに、おたがいをズタズタに削り合っていく悪循環のスパイラルがあるように思う。(このあたりは、また別に書いてみたい。)

ともあれ、私も微力ながら、雨宮の宣戦布告に共闘の意を表明する。