引き続き、逆さ男さんの手記を掲載する(今回が最終回)。
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この社会は、自分の立場を維持するためには、他者を踏みつけにするような構造になっている。
自分の居場所を見つけるにも、世間で「負け組」のレッテルを貼られた人たち、非正規雇用で格差に苦しむ人たちには、酷な状況だ。先に「自分らしく居られる場所のない社会は貧困だ」と書いたのは、この社会構造に寂寞としたものを感じるからだ。僕自身、受験というキツイ競争に乗せられ、そこでつらい挫折を経験し、社会に出たら何をするにも金がいることをイヤというほど思い知らされた。思い通りにならないこと、理不尽さを仕事で経験し、どんどん追い込まれていった。気がつけば自己責任や自分に対する(実はあいまいな)ランク付けにとらわれて、どんどん自分らしく生きる権利を奪われてしまった気がする。「こんな自分の姿なんて、もう投げ出してしまいたい」と思うくらい、追いつめられていた。逃げたくとも、お金が何をするにも必要なことを考えると、逃げだせないというジレンマが、ほんとうに苦しかった。仕事をしているときは、とくに。

結局、僕にとって必要だったのは、“ワンラク上の自分”なんかよりも、自分が安心して自分らしく居られる居場所であり、安心して笑い合い、いつもの自分を取り戻すことのできる、人とのつながりだった。その確信は、いま、コムニタス・フォロのお世話になっていて、少しずつであるが、ふつふつと感じている。

僕は、フォロの扉を初めて開けてくる人たちに聞きたいことがある。

「いつもの自分に戻れましたか?」

もちろん全員が「はい」と答えるとは思えない。そりゃ、雰囲気や価値観が合わず、構える人もいるだろう。でも、フォロのスタンスは「来た人が最後には脱力して帰ってもらう場を提供すること」だから、もっと「いつもの自分」を取り戻すために、どんどんフォロを利用すればいいと思う。もっと僕らは本当の自分を出すために、必要な「心の奥底の声」に、しっかりと耳を傾け、その声を外へ表現していくべきなのだ(もちろん僕だって、この作業には今以上の努力をしたい)。

今、フォロでいっしょにだべっているメンバーが、どんどんそういう作業を行なっていることは、すごく刺激になっていいと思う。各々の「声にならない声」が集まってまとまれば、きっと世界は広がる。そして、その広がった世界には、「いつもの自分」を置いておけるスペースが、お金をつかわずとも見つかるはずだ。僕は、そう信じて、こうやって、ただ長いだけと言われかねない文章を書いたのです。
(了/逆さ男)