『あしがらさん』という映画がある。ひとりの路上生活者の姿を撮ったドキュメンタリーだ。
「あしがらさん」と呼ばれる、新宿で路上生活を送るおじさん。
ゴミをあさりながら残飯を食べ、足には虫がわいてしまっていて、
誰も信用しようとせず、路上に生きている。
街を行き交う人は、気に留めるようすもない。

監督の飯田基晴さんは、もともと路上生活者を支援するボランティアをしていたが、もっと、あしがらさんに近づきたいとの思いから、カメラを手にとったという。
映画のなかで、あしがらさんは、行きつ戻りつしながらも、人との関係を取り戻し、表情を取り戻していく。
そのきっかけになっているのは、この映画そのもの、つまりは監督とあしがらさんの関係だろう。
カメラという壁をはさむことで、それまで隔てていた見えない壁を越えていく。撮影行為そのものが作品になっている。
ふだんの日常関係にあって、カメラを向けて人と話すことなんてない。そんな失礼なことはないだろう。
だけど、カメラを間に立てることで、越えられる壁もある。
私たちは、自分のまわりに、見えない壁をたくさん立てている。そのために窒息しそうになっている。
この見えない壁を崩していくには、この映画のような、「何か」が必要なんだろうと思う。
コムニタス・フォロでも、そういう「何か」をしていきたい。

そうそう、先週のサロンで、この映画を流そうと思っていたんだった。
つい、しそこねたので、今度のサロンでは上映してみようかと思う。
(やました)