引き続き、メンバーの「声」を紹介したい。今回は、ノディさん(20歳・女性)の手記。フォロのニューズレターに手記を寄せていただいた。
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「コムニタス・フォロについての手記を書きませんか?」
コーディネーターの山下さんにこう言われたとき、喜んでそれを引き受けた。しかし、いざ「書くぞ!」という段階になって、私はとても困ってしまった。
ひとつは、言いたいことがありすぎて、とても上手くまとめられそうにない。
それと、もうひとつは、この場所のあり方について。

私は、コムニタス・フォロをとても気に入っている。
ここに来た当初、私は疲れきっていた。
世間との価値観のギャップに。
私にとって大事なものが、世間では取るに足らず、私にとってどうでもいいものが、世間では大切にされている。いつも自分が申し訳なかった。生きていることすらも。人は万能で、走り続けなければならない。一歩も足を緩めることは許されないのだと、そう言われているようで。
だけど最初にここの空気を吸ったとき、なぜだろう、とても息をしやすいと思った(ちなみに空気清浄機はない)。
自立を「支援」するわけでもなく、不登校やひきこもりを「克服」するわけでもなく、就職を「勧める」わけでもない。共通の苦しみを持った人が集まる「自助」グループともちょっとちがう。実際ここには、さまざまな人々が集ってくる。あらためて考えてみれば、ここはなんとも不思議な場所なのだ。一言では表しづらい。

ところで。            
歌手の一青窈さんが、こんなことを言っていた。
「あるがままの自分を、自分の『ただ、いま』を伝えられる場所や人があるならば、それは『ただいま』に転じ、そこがその人にとってのお家になるんじゃないかな」
私はふっ、とコムニタス・フォロのことを思い出した。ああ、そういうことかもしれない。
私にとってこの場所は、ひとつの「Home」なのだと。
だって私は、ここでたくさんのことを話した。うれしかったこと、哀しかったこと、闘っているもののこと。笑ったり、泣いたりしながら、私の「ただ、いま」を。
それと同じに、たくさんのことを聞いた。人はみんなちがって、それぞれの喜びや、苦しさ。それぞれの「ただ、いま」を。
だからと言って、フォロに来る人たちを「家族だ」と言い張るつもりもない。フォロの人々は、あくまでただ、フォロの人たちなのだ。
あるがままの関係であるということ。それは案外、カテゴリーを持たないことだと思うから。

フォロの扉が開く。さまざまな人が、ちょこんと顔を出す。
私はフォロの扉が開かれるのが、「こんにちは」と言えるのがうれしくて、とても楽しみに待っている。
コムニタス・フォロのような「Home」が、日本の片隅に、少しずつ根づいていくことを願っている。
(ノディ)
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