今回のづら研のテーマは、「怒られるのが怖い問題」だった。
まず、みやすけさんが自分の場合を文章にしてきて話してくれて(文章はこちら)、その後、そのキイワードをホワイトボードに書き出して、参加者とともに「当事者研究」した。

●身体反応~言語化

みやすけさんが最初に話したのは、怒られたときは、その内容よりも先に、怒りのエネルギーが伝わってきて、身体が反応してしまう、ということだった(心臓ズキズキ、前頭葉ビクビク、目の前チカチカ、身体がドコドカetc…下記写真参照)。

そのため、判断力も鈍ってフリーズしてしまったりする。そして消化されない思いが、不安や澱となって沈滞するものの、しばらくすると固まってきて、言葉になってくる。その段階になって、ようやく人に話せたり相談できたりする。そうすると、吐き出すことができて浄化できるが、それで終わりということでもなく、ときどき再沸騰したり、また、あらたに怒られることがあったりする……。
ほかの参加者からも、やはり身体反応の話はいろいろあって(呼吸が浅くなる、血圧が下がる、顔がこわばる、平衡感覚がなくなるetc…下記写真参照)、まずは身体反応なんだということがよく見えてきた。それが言語化されていくと、アウトプットできるが、言語化できないと、エネルギーの塊が自家中毒を起こして、激辛食品やアルコールの摂取、自傷行為などなど、痛みの置き換えで乗りきろうとしてしまったりする。いずれにしても、言語化までは時間がかかることが見えてきた。

●怒られることの種類

さらに、話をするなかで見えてきたのは、怒られることにも2種類あって、理不尽に怒られている場合と、自分に非があると思える場合とでは、自分の反応もちがう、ということだった。理不尽だと思う場合は、反発したり逆ギレしたり、怒りに対する「盾」が働くが、自分に非がある場合は、その「盾」を立てられないので、怒りが深く刺さってしまう。そうすると、フリーズしたり強制終了(シャットダウン)になってしまう。また、理不尽と思っても、とにかくやり過ごすために謝ってしまうということも、女性参加者から話されていた(このあたりはジェンダー要素が深く絡んでいそうだ)。

●なぜ怖いのか?

そして、本題の「怖い問題」だが、なぜ怖いのかを考えたとき、大まかに言って、3種類ほどあった(下記写真参照)。
・身体的な怖さ(殴られる、声が大きい、相手のエネルギーに呑み込まれるetc…)
・関係上の怖さ(決裂してしまう、信頼関係が壊れる、見捨てられるetc…)
・自分への否定(人格否定、価値観の否定、罰せられるetc…)
また、怒りに向き合おうとするからこそ怖いのではないかという意見や、自分を否定して相手に合わせるのもイヤだし、決裂するのも怖いという二律背反がある、などの意見もあった。

●怒りに対処する工夫

その後、怒りに対処する工夫を出し合った(下記写真参照)。
これも、大まかに3段階(初期・中期・後期)あるのと、向き(内/外)があることが見えてきた。

初期
には、身体的な工夫が多く(食べ物、アルコール、風呂、涙を流す、カラオケetc…)、方向は内向き、そしてエネルギーの置き換えをしようとしているのではないかということが見えてきた(痛みの置き換えや発散)。

中期
になると、言語化・共有化する工夫が出てきて(相談する、ひとりにならないetc…)、方向は外向き、そしてエネルギーの変換が起きているのではないかという話になった。

後期
では、負のエネルギーが浄化されたり成仏して、楽になるが、そうなっても甘えや嗜癖が残ってしまうこともあって、それは依存の問題かもね、という話になった。
また、負のエネルギーが変換されないまま、外に向かって発散してしまう場合もあって、それは八つ当たりだったり、ヘイトスピーチみたいな「他者の悪魔化」だったりするのではないか、という話も出た。
*  *  *
こうやって書き出して眺めてみると、実にいろいろなことが見えてきて、おもしろかった。しかし、怒りへの対処の工夫を見いだしても、そもそもが不条理に怒られている場合もあり、自分が工夫して対処しておしまい、では済まない場合も多い。そこで、次回のテーマは「怒り方の研究(誤爆・自爆の研究)」となった。相手に対してちゃんと怒れないために、誤爆や自爆が起きてしまう。それを「研究」してみようということで。12月7日(月)13時~大阪ボランティア協会にて。よかったら、ぜひお越しを。(山下耕平)