ぬか床を育て(?)始めて、ひと月くらいになるだろうか。毎日毎日、いろいろ変化があって、おもしろい。毎日手を入れてかき回すが(文字通り“手入れ”だ)、日によって感触がちがう。水分や温度、におい、手触り、もちろん漬かった野菜の味も。水抜きをしたり、塩やぬかを足したり、ビールを入れたり、ぬか床の気配を感じながら、こうしたほうがいいかな、と思うほうに、手を入れていく。結果、なんかちがうということも多いが、だんだんコツというかツボというか、どうしたら菌のゴキゲンがいいのか、なんとなくつかめてきたような気がする。

そういえばクロード・レヴィ・ストロースが「料理の三角形」という図式で料理文化を分析していたが、それによると料理は「生のもの」「火にかけたもの」「発酵したもの」の三つになる。「生のもの」はいちばん自然に近い料理で、それに文化的な変形を加えるのが「火にかけたもの」、自然的変形を加えたのが「発酵したもの」、たしか、そんな図式だった。火にかけるというのは、人間の「文化」的な力を非対称的に加える感じがする(ただ、やみくもに強火にすればよいわけではなく、食材の状態をみながら加減をしないといけないが)。それに対して発酵の場合、温度やら湿度やら菌の生育環境によって大きく変化するし、人間が料理するというより、ゴキゲンをうかがいながら、菌の力を貸してもらっているという感じがする。

「居場所」とか、人の集まる場における知恵にも、「火にかける」ような知恵と、「発酵する」知恵のような、両方が必要なんだろうなと思う。「火にかける」というと、なんだか過激に聞こえるが、たとえば明文化したルールのような、自然状態をハッキリ加工するような知恵。「発酵」というのは、おたがいに察し合うことだったり、生き物としてのうごめきを、いい状態に共鳴させるような知恵。そんなふうに思う。

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ちょっと漬かりすぎくらいが私は好きです。