今日、べてぶくろ(べてるの家@東京池袋?)の方がフォロに来られて、ランチミーティングをした。当事者研究の全国交流会を2016年に関西で開く予定になっていて、その打ち合わせなどで来阪されていたところ、NPOそーねの方が、「フォロさんと交流を」と企画してくださったのだ。
いろいろ、意見交流できて楽しかったのだが、覚え書きとして、ひとつだけここに書いておきたい。

当事者研究においても、「支援」ということを考えるうえでも、大事なのは、当事者の語りに対して、聴く側が予断と偏見をどれだけ排して聴けるかということだろう。べてるの家も、医者の目で統合失調症などを見るのではなく、当事者の言うことを虚心坦懐に聴くことから、じつに豊かな発展があって、そこに当事者研究も生まれている。不登校においても、当事者発の活動が、さまざまな広がりを見せてきた。そして、日本におけるフリースクールも、べてるの家も、活動開始から約30年というのも、共通している。

たぶん、それは偶然ではないのだろう。社会のなかで「大きな物語」が崩れていって、何が正解なのかが不透明になっていくなかで、「治療」だとか「教育」だとか「支援」ということの意味が、根本から問い直されてきたのだ。どこに向かって「治療」「教育」「支援」するのか、まったくわからないのだから。

「正解」なんてない。そのぽっかり空いた穴を何かで埋めないことが肝要なのではないだろうか? フリースクールなども、ややもすると、学校よりフリースクールのほうが正しいとか、そういう発想に陥ってしまう。

虚心坦懐であること。その意義は、数値や目に見える成果にはならないものだろう。でも、いちばん大事なことにちがいない。そんなこと言っても、行政とか立法とか、そういうところでは、なかなか話は通じないだろうな……。(山下耕平)