私は8月24日から3泊4日、ひきこもり仲間とともに共育学舎でお世話になりました。
●勝山おじさんが脳内にばーんと登場
そんな稲よりも細い、ぽっきりと折れそうな私の心を支えてくれたのが、勝山おじさんの存在でした。
知らない方のために、ここでちょっと解説を。
勝山おじさんとは、ひきこもり歴20年にして、ずばり“ひきこもり名人”を名乗るおじさんです(ブログ「鳴かず飛ばず働かず」)。
自家中毒による脳内パニック、今にも泣きそうな私の頭をよぎったのは、他の誰でもない、勝山おじさんの存在、おじさんの言葉たちでした。
ちょっと待て、落ち着くんだ、私。思い出せ、勝山おじさんという41歳のおっさんのことを。安心ひきこもりライフで、ブログでさらされた、数々のダメダメなおじさんの姿を。勝山おじさんはあの時、あんなにも役立たずだった。あんなにも社会性がなかった。あんなにもダメダメだった。それでもおじさんは、安易な自己憐憫や自家中毒に陥ることなく、今日も「ばーん。」とか言いながら生きている。
ここで泣いて、役立たずな自分をかわいそうがってどうする。周りにいいこいいこしてもらうのを待つのか? 相変わらず束ねるべき稲をぼたぼたと落としながら、私はひたすら念仏のように勝山おじさんの存在を、その言葉を頭の中で唱え続けました。そうしておじさん念仏を唱えながら作業を続けること1時間半。まわりのみなさまが15分で飲み込んだコツに、ようやく私は触れることができました。他の誰でもない、私が考えた、私にとってやりやすい稲の束ね方を、私はついに発見したのです。そうして最終的には、はじめは8分の1人前くらいだったのが、3分の1人前くらいにまでランクアップできました。3分の1人前、ひきこもりには当たり前。私はひとり勝手にご満悦です。
すべての作業が終わって気がついたのは、稲の束ね方だけではありませんでした。言われた通りにのみやろうとするから難しいのです。誰かのやり方を完璧に真似ることではなく、自分にとってどうすればやりやすいのかを考えれば、話は簡単だったのです。
これは何も作業だけの話ではない。人生だって、生きることだって同じじゃないか。
「〇〇だからこうあるべき」「このくらいできて当たり前」。そういった社会的、世間的な規範意識の階段からおりることこそが、私という人間を生き延びるための階段を一歩のぼることでした。
カッコつけていうのなら、オトナの階段をおりること。(もともと一歩ものぼっていませんでしたが……)
そのことに気がついたのは、勝山おじさん、あなたがこんなにもダメダメかつ素敵なおじさんだったおかげです。おじさん、どうもありがとう。
あなたは私の恩人です。
●ありがとうございました。
最後になってしまいましたが、今回の旅行で出会った人たちに、私は伝えきれないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。
まずは三枝さんをはじめとする、共育学舎のみなさま。
こんな私を静かな佇まいで、当たり前のように受けいれてくれてくださって、本当にありがとうございました。共育学舎がなくては、ここに書いたすべてのことは起こりませんでした。
ご飯、とってもおいしかったです。
夜はカエルや秋の虫たちの鳴き声を子守唄に、ぐっすりと眠ることができました。ふだんは夜が来るたび、今日もちゃんと眠れるだろうかと毎日不安な私が、あんなに気持ちよく眠れたなんて、まるで奇跡みたいです。
突然押しかけた訪問先で、あたたかく私たちを迎えてくれたみなさま。
あなたたちの笑顔は、言葉は、生きているその姿は、ただそれだけで本当にうつくしく、静かな輝きに胸を打たれました。
一緒に農作業をして、一緒にお昼ごはんを食べた、それぞれのつながりをもとに集まった、名前も知らないみなさま。
私にとってとても大きな気づきの瞬間に、同じ作業を、同じ時間を共有できたこと。その瞬間に、私がひとりではなかったこと。
あなた方の営みの隣で、私はオトナの階段をおりました。そこにいてくださったこと、感謝しています。
すべてのみなさまのおかげで、たくさんのありがとうに出会うことのできた4日間でした。
たくさんのありがとうを、ありがとうございました。
野草