ゴミの埋立地を見学させていただいてから、ゴミとは何だろうかと改めて考えていた。ゴミと一口に言っても、食べ物の残りや、紙くず、空き缶、粗大ゴミなど、実にさまざまだ。埋立地には、下水を処理したあとの汚泥も含まれていた。そういえば、少し前に見学させていただいた犬管理事務所で処分された犬猫も、焼却処理されると聞いた。とすると、彼らのお骨も埋め立てられているにちがいない。ありとあらゆるものが、ゴミとなっている。

しかし、ちょっと考えてみると、ゴミがゴミたるゆえんは、循環しないことだと言える。食べ物の残りや、排泄物、動物の死体などは、本来、自然に還るものだ。埋立地の職員の方も、「ほんとうは生ゴミを山に埋めたほうがいいんです。自然に還るわけですから。しかし、量が多すぎて、そういうわけにはいかなくなったわけです」と語っていた。自然に還れば、それはゴミではなく、次のいのちの営みへ活きる源となる。それをむざむざ焼いて埋め立てているのだ。カンやビン、紙くずなどはリサイクル可能のものだし、循環していればゴミにはならない。

さらに考えると、このゴミのもとの多くは、海外から来ていることに気づく。日本の食料自給率は40%(カロリーベース)。60%は海外から来ている。紙や鉄鋼資源は言うまでもない。日本では、莫大な資源を海外から持ち込んで、循環させることなく廃棄している。莫大量ゆえに循環できないとも言えるだろう。あたりまえのことだが、これはヘンだ。循環できずに蓄積されていくゴミは、浮かばれない亡霊のようではないか。莫大なエネルギーを使って高速度で回転する都市社会は、途方もない闇を抱えているのかもしれない。