少し前に、メンバーのFさんから、『信頼』(アルフォンソ・リンギス著)という本を貸してもらった。リンギスは、信頼というのは根拠なく相手を信頼することで、相手に対し、無防備に自分を投げ出せることだ、というようなことを書いていた。いま手元に本がないので表現は正確ではないと思うが、そうやって、自分を無防備に投げ出せば投げ出すほど、信頼は増幅してタイフーンのように力強くなっていく、というようなことを書いていた。逆に、たとえばテロ対策みたいに、周囲を信頼しないで安全を求めようとすればするほど、憎悪や不安が増幅していく、と。

子どもは、基本的に周囲に対して無条件に自分を投げ出して生きていると思う。だから、子どもはタイフーンのように豊かだ。とくに小さいころに、無防備に自分を投げ出して、それが周囲に受けとめられるという経験は、とても大事なように思う。そうでないと、自分の存在自体が不安に満ちたものになってしまう。
先だって「家族」について少し書いたけれども、家族の役割というのは、何より、そういう信頼の原点を培うところにあると言えるだろう。

しかし、どんな子どもでも、その無防備さゆえに、ときにひどく傷つけられて、だんだん防備を固めてオトナになっていく。自分が傷つけられた人は、無防備な人をなんだか許せず、無意識に傷つけてしまう。そういう不幸な連鎖がある。

先週、ある不登校経験者の方と話をしていたとき、ひきこもっていたときは部屋にバリケードを築いていたという話を聞いた。別の父親の方は、子どもが6年部屋にこもって、食事もトイレも部屋でしている(簡易トイレで)と話されていた。この気持ちは、よくわかる。そうまでしないと、生き延びられなかったのだ。こういうとき、無理に引き出そうとする人たちは、その人をさらに否定し、攻撃し、憎悪を増幅させてしまう。それでは、物理的に引き出すことはできても、魂を殺してしまう。

バリケードを築いているのは、何もひきこもっている人だけではない。学校は門扉を閉め、街には監視カメラが設置され、みんなが信頼感を失い、疑心暗鬼になっている。子どもや若い人たちは、そのピリピリとした空気を肌で感じている。いま、私たちに必要なのは、無防備に、自分を世界に向かって投げ出せる勇気だ。それが信頼を増幅させていくことを信じて。