「就労支援」ばやりだ。ジョブカフェのような政策をはじめ、NPOなども「就労支援」を掲げるところが、やたらに増えた。これを総否定するつもりはないが、私は、これはゴマカシではないかと思っている。若者が安定して働けなくなったのは、若者自身の問題より社会構造の問題であることは論をまたない。第三次産業ばかりが肥大化し、正規雇用は大幅に縮小し、非正規の使い捨て労働が大量に生み出されるなかで、いつでも取り替え可能なコマとしてしか扱われない労働に、若者が、希望も展望も持てないのは当然だ。そういうことは、かなり一般にも論議されている。それなのに、政策として打ち出されているのは「就労支援」である。
それは、なぜか?


結局、この社会構造を変えるつもりは、まったくないということだろう。就労支援策とは、さらに加速度的に現在の路線を押し進めるための弥縫策にすぎない。希望も展望も持てない仕事ばかりを増やしながら、そこへの就労を支援するなんて、根本的に矛盾している。
NPOとして活動する人たちには、そういう路線を補完するということでいいのかと、問いたい。

不登校に即して考えてみれば、こういうことになる。
学校が息苦しい場となって、そこに希望も展望も持てずに、身体が先に反応して行かなくなる子どもたちが増えた。それに対し、文部行政は、学校のあり方を問わないまま、学校復帰策ばかりを行なってきた。しかし、不登校の数は増える一方だった。
そういうなかで、「NPO」が果たしてきたのは、学校とはちがった居場所をつくることであり、それによって、既存の学校のあり方を根本的に問い直すことだった。
不登校の子どもたちによって、学校が根本的に問い直されたのは、それが論ではなく、存在をもっての批判だったからだ。

いま、「ニート」や「ひきこもり」と言われる現象に対して、NPOが果たすべき役割も、そういうところにあると、私は考えている。ひとつには、若者が否定されずにいられる居場所を確保すること。そして、オルタナティブな生き方を模索し、あるいは、オルタナティブな活動をしているところと関係をつくっていくこと。そういうなかで、いまの経済政策を根本的に問い直すこと。

不登校に関しては、長年にわたる、草の根の活動の積み重ねがあるが、若者の問題に関しては、まだまだ、これからだと思う。問題を個人に矮小化させてはならない。
(やました)