昨日のサロンでは、クルマ社会のことについて話し合った。
日本国内の自動車保有台数は7500万台を超え、全世界にある自動車の1割が狭い日本のなかにある。この40年で日本の自動車台数は10倍に増え、とうに飽和状態に達している。にもかかわらず、毎年、自動車の数は増え続けていて、国内だけで年間1080万台ものクルマが生産され、年間585万台前後の新車が売られている。1日あたり3万台もつくられ、1万6000台が国内で販売されている計算だ。材料のほとんどは海外資源。金属やガラスやゴムを世界中から集め、次つぎに自動車を生産している。
言うまでもなく、自動車は巨大産業だ。部品をつくっている子会社をはじめ、道路、燃料、駐車場、自動車保険などを含めると、日本の就労人口の8・4%は自動車関連で働いている。だから、自動車がどんなに余っていようと、交通事故が増えようと、毎年、売れ続けてくれないと不況になってしまうし、ちょっと売れる台数が減っただけでも大問題になってしまう。だけど、おなかがいっぱいなのに、無理やり食べさせているような状態なわけだから、当然、無理がある。その無理を末端の労働者、とくに若者にしわ寄せしているのが、現状ということだろう。

これはクルマに限らない。家電製品でも同じことが言えるし、消費生活全般に言えることだろう。かつて、経済成長をモーレツにばく進させた時代には、働くこと=生産することは自明だったのだろう。働けば働くほど豊かになる。進歩や技術革新が豊かな世界をもたらす。そういう実感があったにちがいない。しかし、いまや進歩や技術革新は過剰になっていて、無理やりにでも消費を刺激しないと、経済がまわらないようになっている。細かな差異を無理にでもつくりだし、そのために必死に競争している。つくる人も売る人も、何のために働いているのか、心の底ではわからなくなっているのではないか? しかし、そんな大きな問いを考える余裕はないし、お金がなければ生活できないなかで、日々、無意味な競争に追われ、そのストレスは弱いほうに向かって増幅されていく。悪循環のスパイラルだ。

いまの、とくに若者をめぐる労働状況が問題であることは論をまたない。これを告発する動きが群発してきたのは、必然のことにちがいない。しかし、それを「格差是正」というレベルの問題で考えていては、問題の根は見えてないと私は思う。