不登校やひきこもりに関わる人は、大別して二つに分かれるように思う。
ひとつは、学校や社会に適応することが「健全」であるとして、不登校やひきこもりを「問題」とし、いかに「健全」な状態に戻すかを「支援」として捉えている場合。
もうひとつは、学校や社会の状況のほうを問題とし、むしろ不適応を起こすほうが「健全」であるとみて、本人を変えるのではなく、学校や社会のあり方を問い直すことが「支援」になると捉えている場合。
実際には、団体や人によって、ニュアンスはいろいろだが、根っこの部分では、どちらかのベクトルを持っていると言って、差しつかえないと思う。私なんかは後者に立っていると言えるが、その場合でも、当事者を差し置いて理想論を語っていては、本人にとっては迷惑なだけだろう。当事者は、現実の矛盾のなかを生きてるわけで、学校や社会に適応したいという気持ちもあれば、こんな学校や社会はおかしいという気持ちもあって、そうスッキリとはいかない。
本書の著者、丸山康彦さんは、自身が高校のときに不登校になり、社会人になった後も、ひきこもっていた経験がある。現在は、神奈川県でヒューマンスタジオという相談機関を立ち上げ、不登校やひきここもりについて相談を受ける仕事をしている。
本書は、丸山さんが配信し続けてきたメールマガジンがもとになっている。自身の経験をベースに、さまざまな相談を受けてくるなかで練られてきた深い思索と、具体的な手立てが、有機的に結びついて綴られている。一貫しているのは、本人の側に立って、内側から不登校やひきこもりを捉えていることだ。
丸山さんは、「不登校やひきこもりに必要なのは治療でも矯正でもなく配慮である」と言う。それは病気やケガとちがって、「新しい自分あるいは生き方を生み出すこと」で、そこには苦しみや葛藤はあるが、あくまで「本人の生きざま」で「自分の足で踏破することを応援すべき」である、と。
とくに、暴力や依存症など問題となる言動が続くと、周囲は何とか矯正しようと躍起になりがちだ。しかし、丸山さんは、そういう言動をただちにやめさせる術はどこにもない、と断言する。できるのは、本人の根っこにある「真剣な叫び・問いかけに“耳を澄ませること”」だ。本人を誘導するのではなく、斜め後ろに立って「後方支援」で支え続けること。本人の「自律力」を信じること。
私は「支援」という言葉を安易に使いたくないのだが、不登校やひきこもりについて「支援」と言うならば、丸山さんが本書に書かれているようなスタンス以外にはないだろうと思う。
本書は、当事者でもあり支援者でもある丸山さんだからこそ書けた本だ。ただ、欲を言えば、もう少し社会のあり方を見通す視点がほしかったようには思う。タイトルであり結論である「不登校・ひきこもりが終わるとき」で、丸山さんは「どんなに苦しんでも大丈夫、必ず終わる」「不登校とひきこもりの“終わらせ方”はなく、終わらせることができるのは当の本人以外にいない」と言う。その通りだと思う反面、終わらない道筋というのもあるだろうと思う。ただ、それも当事者を差し置いて、周囲が言うべきことではないだろう。
不登校やひきこもりにかぎらず、「支援」に携わる人には、ぜひ読んでほしい1冊だ。
(山下耕平)

 『不登校・ひきこもりが終わるとき』
丸山康彦(ライフサポート社/2014年4月刊)