生田武志さんにお越しいただき、野宿者問題の授業をしていただいた。
フォロで授業していただくのは2回目。
今回は、フリースクールの子どもたちもいっしょだったので、7歳から大人まで相手の授業は、さぞかしやりにくかったのではないかと思うが、簡潔にわかりやすく、お話ししてくださった。
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お話は、住宅街の写真を見ることから始まった。公園のベンチ、歩道、花壇、あらゆるところに突起物やフェンスが張りめぐらされている。野宿者が寝ころんだりできないようにするためだ。ひどい例では、公園が丸ごと立ち入り禁止になっていて、誰も使えない状態になっている。大阪市内には野宿者が1万人いると言われるが、家を失い、行き場を失った人たちを、さらに排除しているのだ。しかし、排除されたところで、もともと行き場がないのだ。いったい、どうしろと言うのだろう。

生田さんは言う。
「地震などで家を失った人たちが、公園や学校など、公共の土地に住むことは当然とされています。しかし、さまざまな事情から家を失い、野宿している人たちは、慢性的に被災している人とも言えるのに、排除されています」

野宿者のうち、大阪市だけで、少なくとも年間200人以上が路上死している。また、襲撃事件は日常化していて、殺されてしまうこともある。にもかかわらず、ほとんど報道されることがない。
「繁華街で連日、人にガソリンをかけて放火し、殺人未遂を犯した犯人を特定できず、現在も逮捕にいたっていない」
被害者が野宿者でなかったら、これはマスコミが大騒ぎする事件のはずだ。

野宿者を襲撃するのは、10代の少年グループがほとんど。襲撃について語った少年は「何もしてないホームレスには価値がない」「無能な人間を駆除、掃除したようなもの」などと話した。

生田さんは、それは本人たちが言われてきたことの裏返しだろうと指摘する。
何もできない無能な人間には価値がない、生きている意味がない。そういうなかを生きている子どもたち。だから、その投影としての野宿者を若者が襲撃する。子ども・若者と野宿者のサイアクの出会いだ、と。

しかし、一方では、まったく異なる出会いもある。
釜ヶ崎では、子ども夜回りがずっと行なわれている。

おそらく野宿者問題の一番大きな問題は、野宿者を同じ人間として見ていないことにあるのだろうと思う。
だから、善意の人たちが平気で排除し、路上死に目をふさぎ、報道もされない。

まずは、出会い、同じ人間であるという、あまりに当たり前のことを感じること。そこからしか、始まらないのだろうと思う。

5日(土)、私たちも野宿者ネットワークの夜回りに参加させていただく。