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閑話休題。

相撲界をみていると、いまの日本社会をよく象徴しているなと思う。門戸は開いていて、世界各国から力士を集めておきながら、ムードで同調を求める。朝青龍問題にしても、傷害事件が事実ならそれは問題にしても、そもそも陰湿な圧力はかかり続けていた。なんでガッツポーズが問題になるのか、「横綱の品格」とか言う人ほど品格がなさそうに見えるのはなぜなのか、日本に住んでいるのがイヤになるほどの陰湿さだった。元横綱の曙が新聞で「自分が横綱のときも、人によって言うことがちがうし、何をどうすればいいというのか、まるでわからなかった」というようなことを書いていたが、ほんとうにそうだろうなと思う(『朝日新聞』2010年2月5日)。

かつての角界とちがって、力士の育ってきた文化風土は多様だ。モンゴル相撲という、日本の相撲とはまたちがった相撲の文化も大きな影響を与えている。にもかかわらず、異なる他者と共存しているということが受けいれられず、ヒステリックな反応を引き起こしている。

対比してみるに、ワールドカップのサッカーなんかを観ていると、ルールは共通なのに、各国でサッカーの特色がちがっていて、おもしろい。明快なルールのもと、多様な文化が競演している感じがする。

相撲はスポーツではなく「神事」だと言ったりもするが、サッカーだって、たんなるスポーツではないのだろう。善し悪しは別として、ナショナルなアイデンティティにまで結びついている。もっと言えば、国家よりもそれぞれの都市の土着的(?)なアイデンティティに結びついた文化になっている。その土着的な文化が、サッカーという“土俵”の上で競演している。

もちろん、サッカーでも、ヨーロッパを始めとした「先進国」が資本の力で旧植民地から選手を青田買いしていたり、いろんな問題があるだろう。なんだか大英帝国の植民地政策と、大東亜共栄圏のちがいみたいな気もしてきた……。 (つづく)