amemiya.JPG14日(土)、ふぇみん主催の雨宮処凛講演会に、コムニタスのメンバー8人ほどといっしょに、参加してきた。
講演内容の要点を言うと、およそ以下のようなことだった。

・ずっと生きづらさをテーマに本を書いてきたが、昨年になって、自分の生きづらさが不安定雇用など社会状況によってつくられたものであることに気づいた。
・実際に若者の状況を取材してみると、派遣労働者やフリーターが極度に不安定なワーキングプアの状況に置かれている一方、正社員は過労死に追い込まれるほど酷使されていて、若者が生死を問われるほど追いつめられている実態がわかった。
・「プレカリアート」という言葉に出会い、自分たちの問題を言語化できるようになった。
・いまの若者はバラバラだが、それゆえに、しがらみなく連帯することができ、さまざまな運動が起きている(フリーター労組、ガテン系連帯、インディーズメーデー、サウンドデモetc…)。
・今後、かつての年功序列・終身雇用型の雇用が増えることはあり得ず、非正規雇用は必要不可欠な労働力とされている。問題は、正規雇用との極端な格差にある。非正規雇用でも、安定した生活を送ることができるようにしないといけない。

(このあたりは、『生きさせろ! 難民化する若者たち』に、くわしく書かれている。)

また、今回の集会では、サウンドデモのようすなど、若者の運動のようすがDVDで上映された。それは、デモというより祭りそのもので、とても健全なエネルギーの爆発のように感じられた。大音量で音楽をガンガンに鳴らしながら、若者たちが街を踊り歩く。主張は、「庄屋は時給を上げろ!」「マックはマック難民を追い出すな!」など、政治的なスローガンとはかけ離れた、身近すぎる主張だ。しかし、若者たちを根底から脅かしている不安が、外に向けた怒りとして発散され、それがうねりとなっているようすが、すごく感じられた。

このうねりは、しかし、サッカーのナショナリスティックな応援や、北朝鮮バッシングのエネルギーと根は同じものだろう。だから、すごく共鳴する一方で、あやうさも感じた。風向きがちょっと変わると、簡単に排撃的なナショナリズムになってしまう。もちろん、あやういからこそ健全なんだけど……。

雨宮処凛は、若者の右傾化について聞かれ、「自分自身、かつては左翼にも右翼にも顔を出したが、左翼は高卒フリーターの私には何を言っているのかわからなかった。その点、右翼は“アメリカが悪い”とか明快で、フリーターのように孤立しきっているとき、国家にしかつながることのできる共同体はなかった」と語っていた。自分が何の役にも立たない、いつでも取り替え可能な労働力でしかなく、居場所がどこにもないとき、ナショナリズムに自分を同化させることで、自分の位置を見いだす気持ちは、よくわかる。

私は、雨宮などの若者ムーブメントに、全面的に共感する。が、一方で、これを雇用問題の枠組みだけで考えていてはならないとも思っている。新自由主義や構造改革が壊したのは、雇用関係だけではない。社会の絆がズタズタになっていて、人がバラバラになっているのだ。貧困はお金だけの問題ではない。関係もまた、貧困になっているのだ。その貧困は、ナショナリズムによっては、けっして解決しない。