生まれて初めて、『週刊女性』を買った。「東京都知事VSゴスロリ作家 緊急ガチンコトーク60分」という記事を読むためである。作家の雨宮処凛と石原慎太郎東京都知事が対談している。
雨宮処凛(あまみや・かりん)は、自分自身の経験も踏まえ、若者がいかに生きづらい状況であるかを切々と説く。石原慎太郎は「それなら抵抗すればいい」と語り、自分自身が、不条理な目に遭っても、タフに闘って勝ってきたことを滔々と語る。それに対し、雨宮は「不登校・ひきこもりは静かな暴動」だと語るが、そのあたりは、石原には毛筋ほどもピンと来ていない。あげくの果てには、「最近の若者には耐性がないから鍛えないとダメだ」みたいな結論に行き着く。さもありなん、というところか。雨宮に対しては「マッチョの権化、石原慎太郎を相手に、よく善戦した!」とエールを送りたい。

この対談を読んでいて、思い出したことがあった。高岡健(精神科医)の、長田百合子(長田塾)への批判である。高岡によると、長田は自著で、自身が中学生のときに、いじめられていたが、そのおかげで「性格をなおすきっかけができた」と語り、高校時にはヤンキーとなることで、強い自分に転化できた、と語っているという。高岡は、こうした言説をひき、長田のやり方は、いじめの被害者が加害者となり、いまだに反復しているだけだと批判している。そして、いじめの反復を止めるには、いじめ集団の解体しかなく、それができるまでは、いじめ集団から離脱する道筋を明示することが不可欠だと語る。
石原慎太郎も長田と同じではないか。暴力の連鎖と同じで、怨念が連鎖しているのだ。
この怨念の連鎖に巻き込まれたら、逃げるしかない。そうでないと、自分も怨念の権化になってしまうから。

2/12の芹沢俊介×高岡健対談集会では、いじめの問題についても、聞いてみようと思う。