今回のづら研は、「自分の壁」がテーマだった。自分の中で、何かが壁になって、踏み出すことができなかったり、何にもチャレンジできなかったり、身動きがとれなくなったりする。それは何なのか研究してみようということだった。そこで、まずは、みなさんの“壁さん”を挙げてもらおうということで、聴いてみた。

●みなさんの壁さん

・否定的なことを言われた。
・見捨てられ不安。
・つくろった自分を演じていると、行き詰まる(ので、先手を打って、ひきこもり経験があることをカミングアウトしておく)。
・コミュニケーションの壁。
・人の視線。評価。
・透明になるように自分を削いでいる。
・拍子(リズム)が合わないと、話せない。
・身体がもたない。睡眠のズレ、アトピー、緊張する、など。
・お金
・遠方に住んでいる(交通費)。
・家族
・理想が高すぎ?
・コンプレックス。大学生になれなかった、など。
・自意識の肥大(下図)
・めんどくさくなる。
・ひねくれてる、こじれてる。
・「ひきこもり」という名前(当事者性)が壁になる。
・むしろ壁が必要なこともある(暴走しないために)。
・それは本当に壁なのか? 自分で勝手に縛られている?

●壁さんの成分図?

一通りだしてもらうと、なんとなく壁さんには、下図のような成分があるのではないかと見えてきた。
ただ、身体と精神は分けられないし、関係や社会規範は自分に内面化してもいるので、腑分けすれば、こうなるだろうということだ。

●撤退が必要

暴力や自分を否定される関係がある場合などは、そういう関係や価値観からは撤退することが必要となってくる。そうしないと、自分が壊れてしまう。「壁」ということで言えば、自分と関係や価値観とのあいだに壁を立てることが必要になる、ということだろう。同じ「壁」という言葉ではややこしいので、こちらの壁を「防御壁」と呼んでみたい(このちがいは、づら研の場ではなく、この報告を書いていて気づいた)。

●撤退後問題

そして、防御壁をつくって撤退することは必要だが、撤退したあと、壁をつくったあと、それをどう崩せるかが難しい。いかに、新しい関係につながっていけるか。それができないと、ひねくれ、こじれてしまう。
そこで出た意見は、次のようなことだった。
・社会規範のほうがオーダーが厳しくなっている。自分を切り売りしないといけない割合が増えているから、防御壁が高くなっている。
・新しい関係が当事者に限定されてしまうと、最初はよくても苦しい。
・当事者ではない場で、ひきこもりのことなど否定されない経験は大きかった。
・新しい関係に対して期待が高くなってしまい、理想を求めすぎてしまう。
・小説やアートなどが、新しい関係の代わりになることもある。
・大きなチャレンジや一発逆転を考えるのではなく、身近なこと、小さなことの積み重ねがいい。
・理想を求める気持ちにつけこんだ商売や「支援」も多いので要注意。
・実際の関係や場や人物には欠点やダメなところもあって当然で、理想を過大に求めてしまうと、それが許せなかったりする。
・防御壁は、崩すより、ドアとか窓が必要?
・横や縦のつながりより、ナナメの関係がいい(ナナメ上だけではなく、ナナメ下もあり)。
・一気に崩すのは難しいので、出たり入ったりを繰り返せることも必要。
・防御壁がきちんと立てられないと、かえって手放せないのでは?

●防御壁を立てられない問題

そして、最後に、若い世代ほど、防御壁を立てることが難しくなっているのではないか、そもそも撤退することが難しくなっているのではないか、という話になった。社会の流動性が高まり、何が「正解」かわからなくなっていることや、SNSやネットの影響などもあるのかもしれないが、そもそも、何からどう撤退すればよいのか、わからない状況があるように思える。そういうなかで、変身願望が強まっていたり、自傷行為や何かに依存することで保っていたりすることもあるのではないか、というような話になった。そこで、次回のテーマは「逃げられなさの研究」ということになった。7月4日(月)13時~。よかったら、ご参加を。(文責・山下耕平)

※後半は、周和平「私とは言葉である」(2014『アンデパンダン』第3号)を参照させていただきながら、話し合った。引用すると長くなってしまうので割愛するが、とても示唆に富んでいた。