今回のづら研は、「聞く耳のあり方」の研究だった。まずは、「聞く耳を持ってもらえてないな」と感じる場合を出し合ってみた。

 

◎聞く耳を持ってもらえてないと感じるとき

・求めていないアドバイスをされる。

・批判を攻撃と受けとめられて、とりあってもらえなかった。

・相手に注意などしても、イヤホンなどをつけたままで、シャットアウトされる。

・力関係があるとき。

・ジェネレーションギャップがあるとき。

・日本語が通じるのと意思が通じるのは別問題。

・相手の考えの枠組みの外にあることは、受けとめられないか、相手の枠組みで切り取られてしまいがち。

・他人事のように一般論を言われたとき。

・ジャッジされてしまったとき。

・解決策や結論ばかり言われるとき。

・カウンセリングで「傾聴」されるより、認知療法のほうが具体的でよかったり、解決を求める場合もある。

 

◎ポリフォニックであること

ここまで話したところで、『居るのはつらいよ』(東畑開人/医学書院2019)という本に出てくる、ケアとセラピーの対比についての話が紹介された。いわく、ケアは日常をともに過ごすことで、セラピーは問題解決をはかること。また、オープンダイアローグでは、「不確実性への耐性」が求められ、対話はポリフォニック(多声的)であることが大事で、シンフォニック(調和的)でないほうがよいと言われていることなども紹介された。そこで、づら研や居場所のあり方などについて、話し合った。

・づら研では、テーマだけ決めて、それぞれが自分の思うことを言っているところがある。そういう意味ではポリフォニックだが、常にズレをはらんでいる。話もどこに飛ぶかわからない。

・レポートを書いてきた場合、自分のなかで完結している度合いが高いだけに、参加者からの反応がズレていると、聞いてもらえなかった感につながることもある。

・「聞く」だと一方向だが、日常の会話は双方向のもの。おたがいに語り聞いている。一対一の場合でも、場の場合でも。

・居場所も、同じ目的や考えを持った人が集まるのではなく、いろんな人がいたほうがよい。解決は、いろんな人や考えとの出会いのなかで、自分で見つけることで、ほとんどの場合、解決策は自分のなかに持っている。

・“聞いてもらえた”感は、何回も会っている人だから、というのは関係ない。自分のつらい気持ちを話したり、相手のつらい話を聞いたりしなくても、好きなことなんかで話ができると、“聞いてもらえた”感がある。

 

◎自分が語るときの問題

・当事者意識の特権化が起きることがある。相手は自分のことを聞くべきだというモードに入ってしまうことがある。

・人数が少ないときのほうがコントロールがきかなくなる。相手が多数のときと少人数のときではちがうゲームになっているので、そこで脳がバグる。また、ほんとうに混乱しているときは、まずは聞いてほしいと思ってしまうし、相手の言うことに聞く耳を持てない。

・話す時間の長さも関係しているかもしれない。長すぎると、相手も聞けなくなる。

・相手に何を伝えるのか。感情を殴りつけるだけでは、相手も防御になってしまう。

・たくさん話す人ほど、自分の話をしたいだけで、聞き手には興味がない。

・場では、リズムやテンポもある。ひとりの人が10話すのではなく、みんなが3ずつぐらい話すのがちょうどいい。

 

◎聞くときの工夫

・あいづちが大事。

・タロットなど、媒介するものがあると、話しやすいし、聞きやすい。おたがいが見える化される。

・正面に座ると、圧迫感が強い。座る位置をななめにずらすとよいかも。

・話を聞くなかで、自分自身が変化すること。

・「上から目線」や「外から目線」にならないこと。

・相手に自分をさしだすことが大事ではないか。

・「わかりあえるはず」を前提にするのと、「わかりあうのは難しい」を前提にするのでは、同じ「通じない」ことでも感触がちがうし、「通じた」ことの感触もちがう。

・自分の経験から「わかる」と言ってしまうことで、相手の口をふさいでしまうこともある。

・同じ経験をしていたとしても、人によって楽になり方はちがうし、その人のやり方がある。自分の経験は参考意見でしかないことをわきまえたい。

・あくまで「私は~だ」というスタンスが大事。

・男性のほうが、同じ話のくり返しには耐性がない?

・聞くほうは「何度も、また」と思っても、話すほうはいつも新鮮。

・聞き過ぎないほうがいいこともある。

 

◎言葉にならないもの、など。

・聞いてもらえなかった思いは、呪いになる?

・もやっとしたもの、言葉にならないものもある。

・卓球やゲームは、あんまりしゃべらないけど、コミュニケーションにはなる。

・ご飯をいっしょに食べるのも、言葉ではないコミュニケーションになる。

・言葉以前のところでも、いろいろコミュニケーションは生じている。


以上、箇条書きで書き出したが、話はいろいろ尽きなかった。聞いてもらえなかったり、言葉にならなかった思いは、放っておかれると呪いになるのではないか。その呪いはまた、痛みにもつながるような気がする。ということで、次回テーマは「呪いの研究」にしようかと思ったのだが、今回、話しそびれたことで、「権威」についてというテーマがあったので、次回は「権威の研究」ということにした。下記ブログ記事をネタに話し合う予定。(山下耕平)

blog:迷子のままに【「当事者」と「権威」をめぐる、ぐるぐる。】

 

丑蟻さんによるイラストACからのイラスト