私が以前の仕事を辞めて初めてフォロに来たのは9カ月ほど前、2月末だったと思います。半年ほどボランティアをさせていただいて『そろそろ収入を得る途を……』と、あせりはじめた矢先、スタッフとしてフォロに迎えていただけるという幸運に恵まれました。
10年ほど前から、私は今の子どもたちが置かれている状況に関心がありました。残酷ないじめに象徴される、子どもたちを取り巻く過酷な状況を耳にするたび、自分を問われているような気がしました。『なぜ、生まれて10年前後の子どもがここまで追い込まれなければならないのか』―――そして大部分の大人がそのことを『仕方がない』と考えているかのように変わらない目標を生きていることの意味も、私には理解できませんでした。子どもをここまで追い込んでいて、これは『社会』と呼べるのか、そのなかで大人の世代である自分の責任は……そんなことを自問自答してきました。
フォロに新しく来た子どもと接していると、子どもの目が輝き始める時期があるように思います。表情だけでなく動きからも、止まっていた生命があふれ出し始めたように感じる時期があるのです。『フォロに慣れてきた』『また、友だちをつくれる希望を持てた』など、それぞれに理由はあるのでしょうが、その奥に『これまでに比べてここでは、私は私であって良いのかもしれない』と子どもたちが感じている……そんな感じを受けます。自分自身であることを、自分のなかの自然に従うことを許された子どもからあふれ出る、本来持っていた生命力――そんなものを感じます。もちろんその後も子どもたちの試行錯誤は続きますが、私も試行錯誤の途中です。子どもたちといっしょに、どうすれば子どもも大人も生きる喜びを取り戻せるのか、考え続けていきたいと思っています。
News Letter#18/2008.01.01より