講演会:渡辺位さん「不登校は文化の森の入口」

渡辺位(わたなべ・たかし)
1925~2009年。児童精神科医。元国立精神・神経センター国府台病院児童精神科医長。著書に『不登校のこころ』(教育史料出版会1992)、『子どもはなぜ学校に行くのか』(教育史料出版会1996)など。

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講演会「不登校は文化の森の入口」(フォロ1周年記念講演会)
講 師 渡辺位さん
日 時 2002年9月8日
場 所 フォロ
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今日の講演のテーマは「不登校は文化の森の入口」ということですが、この言葉は、現在、とくに強調しているわけではなくて、だいぶ以前、講演中に、ふとつぶやいた言葉でした。演題はいつも先方に決めていただくことにしているんですが、これをテーマにされたのは初めてです。

しかし、これまでの私にとっては「不登校は文化の森の入口」だったんですね。登校拒否・不登校と出会って、そのなかでいろんな気づきがあり、自分の生き方に影響があった。そういうことを考えるのは、本当は若いうちにやることなんでしょうが、私は不登校とつきあいだしてからのことで、30代半ばから40代にかけて、物事の考え方について、次々に発見がありました。いい齢して何やってんだと思いますが、それを承知で、今日は、その足跡をもう一度たどりながら話してみようかと思っています。ですから、あまりまとまりがないかもしれません(笑)。

戦争神経症と不登校

私が勤めていた国府台(こうのだい)病院は、戦時中は陸軍病院でした。戦争するために兵役に服することになった人たちが戦争神経症になったり、銃弾を受けて神経系を侵(おか)されたりした方たちの精神神経系の治療をする病院でした。

あの当時は、国民は天皇制国家を護持するための人的資源とみなされていた。戦争に行けば命をかけて戦うことが至上命令。「大日本帝国の臣民」というタテマエを果たさなければならない。しかし、人間は命ある生き物で、長生きしたいとか、家族と別れたくないとか、いろいろな感情がある。でも、国のタテマエに合わせなければ、この国の国民として生きていかれないという義務感との分かれ道のなかで、葛藤が起きれば、神経症が起こるわけですね。考えてみれば当然のことです。

登校拒否・不登校と関わりはじめて、ふと気がついたのは、この戦争神経症の話でした。恥ずかしい話ですが、私は当初、社会の常識とかタテマエといった尺度で不登校状態にある子どもたちを診ていて、子どもが学校に行かれるようにすることが治療だと思っていました。ですから、その原因として脳の働きのどこかに異常があるのではと思って脳波をとってみたり、心理テストをやらせてみたり……いま思えば、どうしてそういうふうにしか考えられなかったのかと思いますが、実際、そういうことをしていました。

しかし、登校拒否と考えられる多くの子どもたちと接しているうちに、これは戦争神経症と同じようなことではないかと思いはじめたんです。神経症になったら、戦場では戦えない。そのために命だけは救われる。自分でそうしようと思うより、意識下の生き物としての命の声がその人にそういう行動をとらせている。表面の意識では一生懸命戦って「天皇陛下のために死のう」と思っていても、命としてはそうさせなかったわけです。

そこで、子どもだって生き物なんだから命があるんだと、当たり前のことに改めて気づいたんです。子どもにとって、学校との関係で、そういう事態が起こるのだとすれば、学校とは何なのか。学校の日常が戦争といっしょとまでは言わなくても、どこか生き物としての子どもがその子どもであろうとするのを脅(おびや)かすような場所なのではないか。もしそうであれば、戦争神経症と同じようなことが起きてもおかしくないのではないか。

そういうところから学校を見直してみると、学校がいかにおかしなことになっているか、よく見えてきたんです。当時から学校教育関係者ともつき合いがあり、そういう人たちが子どもや親と向き合う姿勢などを見ていると、子どもがこういう状況になるのも不思議ではないと思えたんです。

そして、学校って牧場だ、と思いました。国家権力が人間の子どもを、国家体制に御しやすいような状態にしている。国家は、戦争がはじまったら兵隊になるような考え方を持たせるし、経済成長がはじまれば、産業戦士に育成していく。学校は、そういう考え方を植えつけていくためのシステムにすぎないのです。

現在も3カ所の教育委員会と関係があって、そのうちの1カ所では地元の学校をまわって、授業場面をみて、教師に助言する仕事もしていますが、学校現場では、子どもを“命ある生き物”としての人と必ずしも認識しきれてなくて、操作・支配の対象と考えるという皮相的な見方は、いまだに変わらないですね。学校教育は、必ずしも、いつも子どもの側で機能する聖域ではないんです。

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