7月のづら研のテーマは、「不調さんを持ち寄ろう」でした。新型コロナウィルス感染者が増えている影響か、参加者は少なめでしたが、そのぶん濃密な話になって、不調を持ち寄るというよりは、それぞれの不調から、いろいろ考え合えたように思います。出てきた話を、少し整理して紹介します。

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・自粛が求められるなか、ふだんは気にしていなかったことも気になるようになって、そういう敏感さのなかで、疲れてしまっているように思う。それまでは、広く浅く受けとめていたのが、狭く深く受けとめるようになっているように思う。共感しすぎて軽いうつになっている。

・芸能人の自死のニュースにショックを受けていて、いきなり強いボールを投げられたように感じている。生きる、死ぬとはどういうことなのか、考えてしまう。自分も、さまざまな当事者性があって、これまでなんとか生き抜いてきた。いまは相談を受ける側でもあるが、人の苦しみは、まわりからはどうにもできないところがある。

・年中、不調で、今日も参加しようか迷ってメールしたが、不調さんが受けとめられたことで、逆に参加できたところがある。薬の副作用での不調がある。なぜ服薬が必要になったかという、そもそもの不調の背景は、いろいろなことがあって、単純ではないし、積み重なっている。言葉になる不調もあるが、言葉にならない、語れない不調もある。それはとてもしんどいが、言葉になったものを受けとめられるだけでも、ちょっとスペースができて、不調を抱えられるようになる気がする。それは、ひとりだけではできないことで、当事者会などは、そういう意味では大事だと思うが、あまり解決にとらわれてしまうのもよくないように思う。言葉にする方向性と、言葉にしない方向性と両方必要ではないか。

・自分自身にさほど変化はないが、父親に認知症の疑いがあり、もともとあまり仲のよくなかった両親の関係がギクシャクしていて、家の中が不調でしんどい。

・子どもが不調で学校を休んでいる。不調というのは、緊張感がゆるまないと出せないのだろうし、出せることは大事だと思うが、親としては難しい。

・春ぐらいから、耳鳴りがするようになった。夕方になるといらっしゃることが多いので、副交感神経が優位になると出てくるのかもしれない。でも、日によってちがって、自分ではコントロールできない。内なる他者のような感じ。気づいたら、ここ最近はいらっしゃってないが、その理由もわからない。まあ、あまり敵視しないことにしている。

・夜になると、じんましんが出たり、痛みが出たりすることがあって、よくわからないときは怖かったが、副交感神経が優位になると出てくるとか、生物としての防衛反応だとか、摂理がわかってくると、ラクになった面がある。知識は大事だと思う。

・新型コロナウィルスは大騒ぎになっているが、人は細菌だけではなく、ウィルスも体内に飼っているらしい。疲れるとヘルペスで発疹ができたりするのも、サインとして大事なのかも。

・ブレーカーのような役割なのかも。ちょこちょこ不調な人のほうが大崩れしないとも言うし。

・歳をとるごとに、不調とのつきあい方もできてきて、むしろ健康になっている気がする。

・周囲の対応として、その人の不調さを治そうと関わることが必要な場合もあるかもしれないが、不調を不調として受けとめられることも必要で、両面、必要ではないか。

・アリス・ミラーの「助ける証人」と「事情をわきまえた証人」(※)が想起される。

・事情をわきまえるのは、素人にもできることではないか。もっと増やすことはできないものか。

・事情をわきまえるには、むしろ素人である必要があるように思う。下手に専門性があると、そのメガネで解釈して解決しようとしたりすることもある。自分のメガネをはずして、その人の言うことをよく聞くことが必要なのかもしれない。

・当事者グループなどでも、当事者だからといって、ほかの人のことがわかるわけではない。自分の経験から決めつけてしまうこともある。似た風景を見ていても、同じ道を歩んでいるわけではないというわきまえが大事だと思う。相手を尊重すること。安心・安全であること。

・不調とは異なるが、グチとか人の悪口も、溜めこまずにはき出せたほうがよいのかもしれない。そうやってバランスを保っているところはあるのかもしれない。

・「怒りはオナラといっしょだ」と話す精神科医がいた。溜めこんではいけないが、どこでも出していいわけではなくて、マナーは必要。いじめにもなるし、暴力はきちんと否定すべきだと思う。

・垂れ流しは防がないといけないし、表面的に暴力や差別を抑えるのも大切だけれども、それだけでは差別の本音や背景など、根っこの部分が温存されて、反動的なダークサイドが膨らむ危険性があるかもしれない。

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以上、不調さんの持ち寄りから始まって、不調から考えることは、いろいろありました。暴力の問題は、ていねいに考えないといけないところで、ひきつづき、くり返し考えていきたいところです。

次回は、8月31日(月)13時~17時に開催(大阪ボランティア協会・大会議室にて)。テーマは「身体性と言葉」ということになっています。(山下耕平)

※「助ける証人」とは、子どもが虐待などを受けているとき、実際に助けてくれる人のことで、「事情をわきまえた証人」とは、「助ける」ことはしなくても、何かが起こっていると気づいていて、その人に関心を向ける人のこと。精神分析家のアリス・ミラー(1923-2010)は、暴力の再生産を止めるのに必要なのは、「事情をわきまえた証人」の存在だとしていた。