いじめ自殺や体罰による自死など、あれほど大騒ぎしているのに、世の流れが本質や根っこのところで命を大切にする方向に変わってきている、という感触がまったくありません。さらには、この社会が漠然とそんな流れを受けいれてしまう空しい繰り返しにも、本当にうんざりです。どんなにか深刻なことが報道などで大きく取り上げられても、それに“自分ごと”としての実感が自分にともなうかどうかに尽きるのだろうと、フォロの日常から思います。今日一日の暮らしのなかで、「(誰かに)自分の気持ちを受けとめてもらえた」という瞬間。これを支えに、私たちは明日に命をつなぐことができるのでしょう。そんな実感がなければ、苦しさや虚しさはどんどん募ります。
一方で私たちは、たとえば「この年齢の子どもなら、○○くらいできて当たり前」とか「母親だったら△△のはず」といった、やるべきことだらけで切羽詰まる日常を強いられています。誰の感覚で誰のために生きるのかさえ、ぐちゃぐちゃにされている気もするし、それでも「壊されてるよ」って声を上げることさえ許されない空気もあります。
フォロではあえて、「がんばらなくても大丈夫」を大事にしたいと思います。「今日も生きている」自分をねぎらって、この自分で安心して生きていける。そのなかで、人との関係、モノゴトとの関係、学ぶこととの関係……、そんないろんな関係をゆるりと結んだり、ほどいてみたり結び直したり……という一日一日。気長な話ですが、そんなことから、ちょぼちょぼとやっていったらいいのだろうな、と考えています。
こんな感じのフォロです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
2013年2月20日
特定非営利活動法人フォロ
代表理事 花井紀子