3年前の春、音楽の道を目指して大阪へ来た私には、もうひとつやりたいことがありました。それは、自らの不登校とフリースクール生活の経験を活かし、フリースクールとそこにいる人たちの力になること。不登校経験後、復学せずフリーターをしてきた私は、不登校がネガティブなものではなく一つの選択肢として存在すること、そして学校以外にも生きていける道があることを、自分にも周囲にも示したかったのです。ボランティアとしてフォロと関わってきた3年の間には、知人に「ボランティアもいいけど、自分の生活をもっと確立させないと」と言われたこともありました。それでも、フォロのスタッフにとのお話をいただいたときには、好きなことを続けてきたこと、音楽のスキルなどが子どもたちの役に立てられたことも含め、まわり道をしてきた自分だからこそできることを見つけられたようで、本当にうれしく思います。

フォロに関わりはじめた当初、「みんなに慕われる完璧な良いお兄さんになるぞ!」なんて意気込みを密かにしていたこともありましたが、今やそれもどこへやら……毎週、フォロに来ると素の顔になっている自分がいます。とは言っても、「いい大人」ってどんなものかというとまた悩みどころで。

子どものころ、私から見た大人と言えば、どこか自分とはちがう生き物、大人から子どもへ言葉や情報が一方通行の存在のような気がしていました。しかし、フリースクールをはじめ多くの大人と深く関わるようになったなかで感じたのは、大人もみんな悩みやわからないことがたくさんあって、いつも子どもにどう思われているか気にしたり、弱い部分もたくさんあって、それでも必死で私たちと繋がろうとしてくれている姿。完璧な大人なんて周りには一人もいなかったけど、いっしょに泣いたり笑ったり怒ったりしながらも、気づけば、転ばないように、傷つかないようにと手を引いてくれていた姿。それを知ってからは、大人は遠い存在ではなく、自分と同じ道の少し先を行く人たちなのだと思うようになりました。

もちろん、私たちに無関心な大人や、否定的な人たちもいましたが、だからこそフリースクールやそれを支えてくれていた人たちが本当に貴重で大切だったのでしょう。そして、そのとき自分が受け取ったものを、いま必要としている子たちにも渡してあげられたらと思ったのでしょう。もちろん、自分が昔してもらったようにできているという自信はまだまだありませんが、今子どもたちと接している自分のなかにも、あのころ見ていた大人たちが確かにいることを感じています。

この「居場所」という価値ある存在と、そこに集う人たちのためにやれる限りのことができればと思いますので、どうかよろしくお願いします。

News Letter#24/2010.03.25より