3月11日に起こった地震は、これからの私たちの生き方そのものを見直すべく、暮らしの根本問題をも突きつけていると、報道を通して感じています。関西に住み、大した余震の不安もなく義援金を送ることくらいしかできないでいる自分に、こんなでいいのかと歯がゆさもあります。被災地で、いろいろな背景があって「学校が合わない」とか「ひとに会うのが怖い」と思う子どもや若い人またその家族には、ただでさえしんどいところに、さらにたいへんなキツさが加わっているのではないでしょうか。学校に行かないことや今の社会に大きな生きづらさを感じる子どもや若い人たちは、平時でさえ伝えうる言葉を持ちにくいのに……と、案じています。
一方で、フォロという場に関わる私には、向き合いたいと思うことが、震災前と変わらず目の前に常にあります。まず、取り組むべき目の前の「問題」に自分なりに息長く向き合っていくことが、長い年月をかけて見たときに、この社会が直面している、ひとりひとりの生き方そのものの「問題」につながることを信じて、これからも、フォロを通してできうることをやっていきたいと考えています。すぐには形にならないことが多いのでしょうけれど……。
みなさん、変わらぬフォロへの応援を、よろしくお願いします。