全小中学校生に、タブレットが支給されるそうです。今や私たちの周りには画面が溢れていて、起きている時間の半分以上、画面を見ている人もいるのではないでしょうか。
 ベストセラー「バカの壁」で有名な解剖学者の養老孟司氏が、こんなことを言っていました(画面の中で笑)。「人間にとって「学ぶ」とは、五感(眼、耳、鼻、舌、皮膚)から情報を入力し、筋肉の運動によって出力し(会話でさえ、筋肉が動かなければできない)、それで起こった環境の変化の結果をまた五感から入力する、その繰り返し」だということです。ところが、都市に住んでいる人間、ビルの中にいる人間の環境は「一日中同じ明るさ、床はフラットでどこも同じ固さ、風も吹いていない、、」これでは、五感から「学ぶ」ことができない、そうすると「脳がサボる」ということです。一歩山に入れば、「土、水たまりがあり、冬には凍り、モグラが塚を作り、ミミズが死んでいて、草が生え、木の根が出ていて、風が吹き、太陽の光は変化し続ける、これが、私たちが出てきた世界ですよ」と。こうしたものを「五感」で感じ(入力し)、例えば歩けば(出力すれば)前に見えているものが大きくなることから「比例」という概念を体得していく、それが本来の、脳と体にとって必要な学びの姿であると。だから、理事長を務めていた保育園で養老氏がしていたことは、年に2回、虫取りと称して子どもを野原に連れ出すことだそうです。それが、日本髄一の解剖学者が子どもたちに必要と考える、脳と体の学びだそうです。
 ひるがえって、画面を見るとはどういうことでしょうか。少なくとも、眼と耳、二感しか使っていません。ではその二つは完全に活かされているでしょうか。私たちは怒っている人と目が合えば恐怖を感じますが、画面の中の怒っている人と目が合っても恐怖は感じません。情報は、十分に伝わっているでしょうか。十分に、経験はできているでしょうか。
 フォロでは、テレビゲームもたくさんしているし、ご支援者からのご寄付でパソコンも十分にあり、ScratchやPythonといったプログラミングをするメンバー、詳しいスタッフもいます。それも、大切にしています。しかし、ともすればそれだけに偏ってしまいがちなこの時代、脳を含めた私たちの体は、何に接することで十分に活かされるのかを忘れずに、子どもたちと活動していきたいと思っています。
 画面が発明されて100年余り。それ以前、私たちはホモサピエンスになるはるか前から、何億年という時間を、太陽、水、風、土、緑と直に過ごしてきました。
 植物の種には適切な土壌が必要なように、私たちのいのちにとっても、そうしたところに置かれることが、とても大切なのだと思っています。
 画面の中で、養老氏が問いかけていました。「子どもに、十分な、感覚的な世界を与えていますか?」

湯上 俊男