●質疑

柳:生田さんはヴィーガンなんですか?

生田:ヴィーガンではないですが、いろいろ調べているうちに、肉を食べにくくなりました。ふだん肉は食べてません。ただ、鰹節がそうですが、肉や魚を完全に避けるのは無理ですね。とくに外食は。海外では、ヴィーガン、ベジタリアンの店はたくさんありますが、日本は選択肢がないですね。だけど、たとえば東京駅の構内には、ヴィーガンのラーメン屋があります。チャーハンとラーメンを出すんですが、おいしかったです。肉も卵も使ってない。

木村:私も考えるきっかけがあって、買っている商品を変えたことがあって、でもダイエットをしていた時期でもあって、米を減らすかわりに肉と卵が増えたりして、難しいと思ったことがあります……。

生田:僕は、大豆ミートをよく食べてます。麻婆豆腐が大好きで、大豆ミートをお湯でゆがいてから炒めると、肉と同じになるんです。それで麻婆豆腐をつくってますけど、けっこうおいしいです。工夫すれば、たいがいのものはつくれますね。通販でヴィーガンのラーメンや餃子とかの冷凍食品もあって、かならずしも高くないです。

柳:生田さんは、野宿問題を学校の授業で教えてますが、動物問題についても、小学校で授業をしているんですか?

生田:してないですね。この問題については、静岡県の社協で話したことがあるだけで、今日が2回目です。コロナの影響もありますが……。

柳:動物問題についての認識が広まったら、いまの国家・資本による支配が難しくなるでしょうね。死が隠されている。見えないから搾取できているところがある。それがあきらかになったら、抑圧や支配の構造があきらかになる。しかし、その認識を拡げていくには、どうしたらいいんでしょう。一部の界隈だけで関心は高くても、マジョリティには拡がらないですね。それと、アニマル・ウェルフェアや動物の権利を守った製品だったら、生田さんも購入したり食べたりするんでしょうか? 価格が高くて、富裕層しか手が届かないといった問題もあるんじゃないでしょうか。

生田:後半の質問からお応えすると、先ほども話したように、たとえば放牧卵はケージ卵の倍になるので、たしかに高くなりますね。しかし、肉や卵は、いま安すぎるんです。海外から入ってきている肉もそうですが、国家が大規模畜産業を優遇していて、税金も安くしているし、動物虐待の畜産を応援しているんです。だから、異常に安い。そういう商品を買うことで、結果的には、そういう畜産業を応援していることになっている。それだったら、まともな業者から放牧卵や野菜を買うとか、そういう方法はありだと思います。一方で、たしかにベジタリアンとかヴィーガンの食材には高いものもあるので、そこには違和感があります。戦略としても、比較的入手しやすい値段にする必要があると思います。

前半の質問については、日本ではきわめて困難でしょうね。全員に関わること、毎日の生活のことで、誰もが知るべきことだけど、知ろうとしない。実際には、本も映像もたくさんあるんです。ところが、大規模業者に対する配慮からマスコミは扱わない。原子力村といっしょですね。企業と行政が合体して、強力に防いでいる。

ただ、たとえばLGBTについても、10年前は関心がなかったですが、いまは関心が拡がりましたね。ひと昔前だったら、とんねるずがゲイをからかうネタを平然としていた。抗議の声があっても、声をあげたほうが変なヤツと見られていた。いまの動物問題は、その状況に近いでしょうね。でも、どこかで変わる時期はあると思います。
ワキヤ:本を拝読した翌日、ご飯のおかずにチキンカツを揚げていて、あっと思ったんです。そうだ、この鶏肉はあれかと思いながらも食べたんですが、何というか、肉の繊維がぶちぶち切れる感じがして……。ちょっと気持ち悪いなと感じてはいるんだけど、食べるのをやめようとは思いませんでした。本を読んでから、たしかに大きな問題だと思うようにはなったんですが、肉食をやめるとなると、すごい意志力がいるなと思います。それと、本のなかで、戦争中、動物園の動物が毒入りのエサを食べなかったというエピソードが出ていましたが、それを読んで、動物のほうがちゃんと食べているなと思いました。きっと、毒だとわかったから食べなかったのではなくて、食べ物だと思わなかったんじゃないでしょうか。でも、人間は、少なくとも自分は、そういうふうに食べていない。子どものころから「好き嫌いなく食べなさい」と言われてきて、味覚が鈍ったんじゃないかと思います。自分の感覚で気づけなくなったというか、感覚がマヒってるように思います。

生田:学校給食からして、肉を平気で出していますよね。ベジタリアンの子はどうしているのかと思いますけど、そういう配慮がまったくなくて、「残さず食べなさい」と言っている。多様性がないわけです。海外ではベジタリアンが多いから、そもそも給食も選択制で、日本みたいに出されたものをぜんぶ食べろというほうがおかしいかもしれない。

みみ:今日、お話を聴くまで、こういう問題をちゃんと知らなくて、衝撃的でした。ベジタリアンの友だちもいるんやけど、ヨガとかマクロビとか言っていて、こういう問題意識からではないような気がします。問題意識からのベジの人って、どれくらいいるんでしょうね。今後は、肉を食べるときも、すごく罪悪感を持ちながら食べると思います。でも、そういうことって、日本人は苦手で、だったら見て見ぬふりしたほうが生活がスムースにいく。知ってしまったら、次の食事から関係してくるでしょう。だから、自分の頭で考えることを放棄している。海外からの影響だったら、少しは変わるんかもしれんけど……。

生田:海外の動きに反発もありますね。たとえば、イルカやクジラ問題で、シーシェパードの動きがよくマスコミでも取り上げられますが、みんなシーシェパードのこと、毛嫌いしてますよね。たしかに強引だし、僕も問題だと思うところはあるけど、それにしても誤解がひどい。西洋人は牛や豚を食うのに、なんで日本人がクジラを食べるのに目くじら立てるんだとか、トンチンカンなことを言っていて、議論にならない。シーシェパードは環境保護団体で、動物の権利の観点から、イルカやクジラの殺し方がおかしいと言ってます。それに対して、日本人はなにか感情的に反発している。前提となる知識がないのが問題だと思います。

それと、肉食の問題は、自分の生き方を変えないといけないので、たしかにそれはしんどいことだと思います。でも、100%変えなくても、たとえば週1回は肉をやめるといったことでも、いいと思います。そういう立場をフレキシタリアンと言いますが、ひとりが完全なヴィーガンになるのと、8人が週1回肉食をやめるのとだったら、後者のほうが結果的には多くの動物が助かる。ハードルを低くして拡がったほうがいいです。プラスチックにしても、100%使わないのは無理でも、減らすことはできるわけで、いま、レジ袋が有料になって、少しは減っていますよね。そういうことで、いいと思います。

みみ:でも、ビニール袋も、100均では売り切れ状態で、ほんとうに減ってるのって思っちゃう。みんなゴミ袋に使っているから、私も変やなと思いながらも買いに行ったんやけど、みんな環境問題まで、ほんとうに考えてるのかな……。

生田:しかし、そういう意味では、日本では、環境問題は受けいれられてますね。動物問題はまったくダメですが。それに、畜産問題は環境問題の最大要因なんです。畜産業による温室効果ガスの排出量は、車や飛行機などすべての輸送機関の排出量を上回るんです。ですから、環境問題から動物問題を考えていければいいかもしれないですね。
山下:いろんなことはつながっている問題で、システムとして動いているわけですよね。生活がシステムに乗っかっていて、なかなか、その外には出られない。だから、ちょっとはマシにするというのが、私たちの生活の現状だと思います。でも、そもそも根本問題の解決にならないからといって、そのマシにすることまで否定していたら、何も変わらないことになっちゃうようにも思いますね。

生田:0か100かで考えるのはよくないですね。

鈴木:そんなこと言ったら、何も食べられないですからね。日本で肉を食べるようになったのは、いつからなんですか?

生田:明治以降です。日本人はもともとヴィーガンだったんですよ。牛、馬、豚、鶏も食べてなかった。猟師は魚を食べてたけど、冷蔵庫がなかったから、基本的に漁民のみですね。じゃあ何を食べていたかと言えば、玄米、味噌汁、漬け物です。これでギリギリ生きていける。僕もふだんは玄米です。和菓子は、ほとんどがヴィーガン食品ですね。洋菓子はたいてい卵や牛乳を使ってますが。

日本では明治以降、最初から産業として畜産業を始めたんです。西洋の場合は、自分がかわいがって育てて殺して食べる生活がベースにあったんですが、日本には(沖縄などを除いて)、それがない。そういう背景も影響していると思います。

山下:ただ、植物だったらいいのかという問題もありますね。野菜も工業的に生産されていて、ムチャクチャな育て方をされていますね。

生田:そうですね。とくに、モンサントがいろんな映画に取り上げられてますが、ムチャクチャやってます。

みみ:そういうものを食べているから、ガンになったり病気になったりするのかも。

山下:肉食の否定だけではすまない問題だと思いますが、しかし、そうなると具体的に生活をどうするかは、悩ましいですよね……。

津路:今日の話はリベラル的、左翼的な話で、ヒューマニズムというか、人間を大事にしましょう、そのうえで動物もということだと思います。でも、そういった価値観は時代によって変わるもので、その価値観がそもそも絶対的に正しいかどうかはわからないものだと思います。たとえば、狩猟採集でも、どのみち殺しているわけですよね。狩猟採取はよくて工業畜産はダメという、その線引きはどこにあるんですか?

生田:肉食と言っても、狩猟採集、伝統的な牧畜、60年代以降の工業畜産では、それぞれまったくちがうものです。狩猟採集の時代は、人間も動物に食べられていたわけですよね。ところが、牧畜を始めた新石器時代以降になると、家畜を始めた。家畜というのは、動物の生死をコントロールするわけで、ここから、人間と動物との関係が大きく変わったと思います。決定的なのは、60年代以降の工業畜産で、工場のなかで動物を育て、虐待して育てている。これは恥ずべきことです。つまり、殺すことを否定するというよりも、動物の生かし方が問題だということです。

津路:それなら、ペットも人間がつくりだす虐待のひとつですよね。

生田:そうです。動物解放運動では、ペットは否定されています。ペットは感情奴隷で、人間が一方的に愛撫して、動物の尊厳を無視しているという。私も、それは当たっていると思います。ただ、いまさら野生にはもどせないなら、ペットとして飼うしかないでしょうね。

津路:最初に、西成公園の猫の不妊手術の話もされていましたが、これも人為的で虐待のひとつじゃないですか?

生田:その通りです。結局、我々は、より少ない暴力は何かを考えるしかないという状況にいるんです。完全に暴力のない状況をつくるのはもう無理です。動物解放運動では、不妊手術も問題にされていますが、一方で、ペットとして飼うなら、責任として手術はしないといけない。けれども、これは明確に暴力ですよね。

みみ:たしかに矛盾をいっぱいはらんでいて、だからこそ、話し合いが大事なんだと思います。ちょっと話はズレるかもしれへんけど、思い出したことで言うたら、なんでゴキブリって、あんなに嫌われてるのって。スプレーしたら瞬時に死ぬけど、こんなん散布して、人間は大丈夫なんって思うし。第一、ゴキブリって、噛みもしないし、襲ってくるわけでもないのに、なんでダメなんって。

津路:たしかに(笑)。でも、自然界でも、食べるか食べられるかで生きているわけですよね。なんで工業畜産はダメなんですか。

みみ:頭脳だけでやっているからじゃない? 一番問題なのは、効率と生産性ばかりを追求して、動物を虐待してきたことで、それを知らずに食べていることが問題ということですよね。そういう理解でいいんでしょうか?

生田:そうですね。CMでは、牛は牧場で草を食べているようなイメージが流されているけど、実際はまったくちがうわけですからね。それに、自然界の食べる・食べられないはやめさせられないけど、工業畜産はやめられますからね。

山下:生田さんは、本のなかで、家畜や動物園の動物は、死の痛みは減らされているけど、尊厳が剥奪されているから問題なんだという説を紹介されてましたね。生がコントロールされ、尊厳が奪われている状態に置かれている。

津路:でも、それも価値判断じゃないですか。絶対に正しいとは言えない。結局は、食べるために育てていて、殺して食べているわけじゃないですか。

みみ:そこに命があるという問いかけでしょう。あまりにも人間の道具として扱いすぎちゃうん。自分だって、そういうふうに扱われるのはイヤじゃないん?

津路:たしかに。でも、それも絶対的な価値とは言えない。

生田:たとえば、死刑囚はどうせ殺すから、どんな虐待してもいいとは思わないでしょう。

みみ:そんなん死刑囚だけちゃうし、人間誰しも死ぬわけやし、だからと言って、どんな生き方をしてもいいってわけちゃう。そのプロセスを考えようという話でしょう。矛盾はわかるけど、それを抱えながら考えようということちゃうん?

津路:でも、そういう感覚も、いまの時代の感覚ですよね。たとえば、さっきの作家の話みたいに、ひと昔前は女性に暴力をふるってもかまわなかった(*本記事では割愛した学習会のエピソードに、ある作家のDVの話があった)。僕の祖父もそうだったらしい。それが、いまの時代だったら問題になるけど、究極的にはわからないことじゃないですか?

みみ:じゃあ、女の人は殴られてもいいわけ? 子どもとか、弱いものは殴られてもいいってこと?

生田:DVが問題になったのはよかったことじゃない。

津路:でも、絶対的に正しいとは言えないわけやから。

木村:正しいかどうか以前に、殴られたらイヤだと思うけど……。

みみ:女性はイヤと言えるけど、動物は言えない。女性の場合は、イヤっていう人がいたから運動にもなった。でも、動物は言えないわけやから、人間が考えないとあかんことやと思うけど。

柳:津路さんが言っているのは、世界自体に価値判断が入っているということだと思います。たしかに人権というのは概念ですし、倫理というのも判断の規準であって、物体のようなものではないと。それでも、倫理というのは、たんなる個人の主観にとどまらず、社会集団に影響を与え、また共通認識となることもありますね。

山下:津路さんは、絶対に正しいものはあるはずと思っていて、相対的だから意味がないと言っているように聞こえます。ただ、柳さんも言うように、倫理は人間が積み上げてきた価値観で、積み上げてきたものとして価値があるし、意味がある。だけど、ある時期には男性だけでつくっていたから、女性が入ってなかった、あるいは子どもや障害者が入っていなかった。だんだん拡がっていって、そこに動物の権利という視点も入ってきたということだと思います。それを否定できる絶対的な視点というのは、どこにもないのではないかと思います。相対的だからこそ、考え続けることができるんじゃないでしょうか。

みみ:とにかく、私は暴力をなくしていく社会にしたい。

津路:でも、結局は殺して食べているわけでしょう……。